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ユーザー名(ID) 笹かま (51406)
プロフィール写真
笹かま
つぶやき
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性別 女性
生年月日 1974年3月8日(46歳)
血液型
居住地
趣味 レースゲームと漫画を読むインドア派です
自己紹介 〜現在、うつ症状とPTSD様の状態で、生活に支障が出ている状況です
本当はこちらに来て、つぶやきを見たりしたいのですが、それも難しそうです
状態が落ち着いたら、また来ようと思ってますので、その際はよろしくお願いします〜
(2020年4月24日現在)


はじめまして。
主婦をしております笹かまです。
うつと複雑性PTSDで20年ほど通院治療中です。
家族は、人間の数より多い猫さん達と笹かま夫婦。


不定期でぼんやりつぶやく程度なので、生暖かく見守って頂けると幸いです。
メッセージに関しましては、時間が取りにくいのと頭が働かず文章が思いつかないため、返信は致しかねますのでご了承ください。


プロフィールの写真は「買って」と目で訴えて来た猫さんです。
背景に生活感がかなり漂っていますが、等身大の笹かまと思って頂けると幸いです。


いいね、コメントありがとうございます
大変励みになっております
感謝感謝です



〜笹かまについて〜
45歳
専業主婦
病名は複雑性PTSDとうつ病
母親はOCD不潔恐怖
父親はギャンブル依存症、DVモラハラ気質
身体、精神、性的虐待あり
複雑な家庭環境で育ち、自身も境界性パーソナリティ障害持ち

2019年末、母親が脳内出血で倒れ、片麻痺の後遺症が残り、現在はリハビリ中です
元々2人の葬式まで会うつもりはなかったのですが、父からの連絡で想定外の形で再会となりました
しかし、これがきっかけになったのか、PTSD様の症状が現れ、主治医の勧めで来院はせず、自分の治療に専念しています
今後、どのような方法や対策を立てるかは未明ですが、最善の行動を取れたらと考えています


〜今の私を支えてくれる唄〜
それは人生
私の人生
誰の物でもない
奪われるものか
私は自由
この人生は夢だらけ
♪椎名林檎さん「人生は夢だらけ」より
アクセス環境

つぶやきの投稿履歴

こちらに1ヶ月ほど来てませんでした 億劫で億劫で仕方なくて、人間の3大欲求を放置してました 毎日コロナの情報が飛び交ってて、家族への感染などを心配したり、先行きの不安で気持ちが荒れたり 加えてトラウマになった過去の出来事が、勝手に思い出されたり PTSDの再燃化? そんな言葉はないのかもしれませんが、近い状態にあって、生活に支障が出て困ってます コメントに続きます 2020年04月24日 03:57
長らくご無沙汰致してました。笹かまです 抑うつ状態が強く出て、ほぼほぼ寝て休む日が続いております 生活全般において億劫感が強めで、気力がなかなか湧かず、家事もお休み中 ちょっと情けない気もしますが、体優先で休養してます 少しの刺激でこんなに症状が変わるとは、自分でもちょっと驚き こちらにもなかなか来れないのが残念なのですが、調子が良い時に顔を出しますね その時はよろしくお願いします ではでは〜 2020年03月19日 03:58
眠れないついでに、ぼやいていきます 最近、自律神経の症状がキツくなって、起きられない日が増えてきました 不定愁訴って、本当に様々な症状が出るんですね 胸が苦しくなったり、動悸がしたり 吐き気や便通の異常とか食欲不振など 微熱が続いたり頭がいたいとか 体も痛だるい?感じでだるく、疲れやすくなり起きていられない もちろんうつ症状もあるのですが、身体症状の方が強めです ほんと、病気なんざ要らないのにね 2020年02月22日 04:43
先日のつぶやきの後日談 ずっと泣き続けていた子犬を探しに、夜中に徘徊してましたが、見つからず家に帰った話を先日つぶやきました その日は子犬の事が気になりつつも、日頃慣れていない行動を取ったせいか、不定愁訴で寝込んでました ずっと気掛かりで、夫に子犬を見掛けた辺りを探してもらいましたが、姿は見えなかったとの事 無事に脱出出来たのかな?それとも誰かに保護してもらえたのかな 少しコメントに続きます 2020年02月22日 02:48
朝方にお邪魔します 昨夜から子犬のような鳴き声がどこからか聞こえてきてて、夫と「どこの犬やろ」とか話していたんですが、午前を過ぎて鳴き声も収まったようなので、寝支度をしていました その頃にちょうど飼い猫が粗相をしてしまい、片付けと洗濯に追われる羽目になり、がっくりしながら掃除していました 洗濯が終わり干しに行こうとベランダに出ると、まだ子犬が鳴いているではありませんか コメントに続きます 2020年02月20日 04:24
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幼少時代からの両親との関係で、現在PTSDとうつ病で通院してるのですが、この歳になって父も母も私と同じく辛い思いを抱えてをいたのではと、最近思うようになりました。 特に母親は、私の目の前で錯乱というか混乱した言動を何度か起こした事があり、あれがフラッシュバックに当たるのでは、と考えています。 両親共に複雑な家庭環境で育ち、内容は違えどいわゆる毒親の元で育った経緯があります。 子供の頃から両親の生い立ちを何度も聞かされていたので、何となくざっくりとは理解していたつもりでしたが、当時は 「またかぁ・・・」 くらいにしか感じませんでした。 「負の連鎖」 とよく耳にしますが、私の家庭ももれなく受け継がれたように感じます。 親の育て方を見て、それが手本となり、自分の子供にも同じような育児方法を取るのは、ある意味自然な流れなのかも知れません。 なので、もし私に子供がいたら両親と似た育て方をしていたかも知れない。 それが怖くて子供を持たない選択をしたので。 この負の連鎖を断ち切るには、それ相応の覚悟が必要です。 育て方の手本が両親しかおらず、どんなに気をつけていても気付かぬうちに、同じ対応を子供にしてしまう危機感があるのかも知れません。 少なくとも私には、対応を間違えずに正しい育児をする自信はありませんし。 少し話が逸れましたが、今回母が脳内出血で倒れた事は、母親ではなく1人の人間として見る機会になりました。 父親に関しても同様に考える時間が増えました。 だからと言って過去を許す気にはなりませんが、長い人生の中で、何を思い何を感じ、そして何に悩んできたのか、何となく分かるような気がしています。 娘としてではなく第三者の視点で考えると、過酷な環境の中で耐えてきたのだろうと、容易に想像がつきます。 果たしてこの思いが今後どう働くのか、私にも全く分かりません。 同情するでもなく共感する訳でもない。 ただ、家族という関係性を取り除けば、毒親に振り回された被害者であり、サバイバーでもあると考えています。 親の振る舞い、思想、子に対する認識で、いとも簡単に子供の人格を壊し、将来を残酷な時間に変えてしまう罪は重いと感じます。 そして、その連鎖を断ち切るのも容易ではなく、かなり困難な問題です。 ただ、誰に原因があり誰が悪の根源なのか、それを知るには歴史を遡るしか方法はないし、それに意味があるかないかは別の問題のように思います。 上手く表現出来ませんが、心のどこかで私と両親は似た者同士、同じ類の人間だという感覚が存在しつつあります。 この違和感は当面続きそうです。 2020年01月27日 06:44
今回のブログは今までの中でも、非常に長い文章です。 もし読んでくださる方がいたら、分割してお読みになることをお勧めします。 昨年末に母が脳内出血で倒れたのをきっかけに、5年会ってなかった父と接触しました。 最期に会うのは葬式だと思っていたので、初めは病院に行く事に迷いがありました。 ただ、担当の医師が娘さんにも話を聞いて欲しいと父から連絡があったので、病院に出向いた形です。 複雑な心境でした。 PTSDの原因になった父と会うのも、非常に不安でしたし、取り乱して感情を制御できる自信もありませんでしたから。 しかし、もしかしたら母の顔を見るのはこれが最期かも知れないと思うと、やはり不安が過ぎります。 あんなに憎んでいたのに、母の命に危険がせまっていると思うと、自然と 「助かって欲しい」 という気持ちが湧いてきました。 父に会っても動揺しなかったこと、母に対する思いが芽生えたことは、今でも理解出来ないままです。 幸い出血部位が広がることもなく、頭蓋内圧も落ち着いたので、少しずつ起き上がったり食事が始まったりしました。 5年間顔を合わせなかった母の姿は、片麻痺を起こした重症患者で、会話もままならない状態のいち患者です。 正直意識がはっきりしていた時に会っていれば、と後悔しました。 搬送された夜にスタッフから、今後の介護についての話をされました。その際にトラウマ級の言葉をかけられたことで、病院に行けなくなりました。 後日その話を自分の主治医に話すと 「介護の話を危篤時に持ち出す事ではないし、家庭の事情も知らない医療スタッフが口出しする事ではない。」 と、普段は穏やかなのに激怒されてびっくりしました。 それ以降は、必要な用品を父に届ける役目を請け負ってきたのですが、父に理解出来ない事態が起きる度に連絡してくるようになりました。 私がやらなくとも父でも十分できる内容です。 しかし、一人では決められないから、書類の内容が分からないからなどと、理由をつけては毎度毎度電話して来ます。 母が入院後、主治医やカウンセラーと話し合って、病院に近付かないこと、出来ないことは出来ないとはっきり伝えることと、助言をもらいました。 抗うつ剤も追加になり、主治医からも 「今は絶不調で笹かまさん自体が治療中の患者さんですからね」 と念を押されました。 診察直後、間髪入れず父から連絡があり、リハビリ施設に移る話が出ていると説明がありました。 しかし、今の私では動くのは無理です。 ご飯は食べられないし、ほぼ寝たきりだし、希死念慮が出たりと、正しい判断が出来る状態ではありません。 今までの主治医やカウンセラーとのやり取り、抗うつ剤が増えてしばらく休養する必要があると説明しましたが、聞こえていないのか理解出来ないのか 「父さん、書類が分からん」 「持っていくもんは書いてくれてるけど、何か母さんの介護のレベルとか何か、役場の人が見に来るって言うし」 と、話がどっちからって的をえない話で、それがループし、私の疲労もピークに達しました。 それを見かねた夫が私の代わりに動くと話してくれました。ですが、それ以降は父から連絡はありません。 夫に電話するのが嫌なのか、苦手なのかは分かりませんが、避けているのは伝わってきます。 夫の手助けを借りずとも、手続きや申請などは出来るのだから、最初から私に頼らなくても自分で出来たってことになりますよね。 昔から随時こんな調子でしたが、それは今でも変わらないんだなと感じました。 そして今回の入院について、父の行動に大きな問題がありました。 母がトイレで倒れ呂律が回らなくなった状態に焦り、119番に電話するより先に、私に電話をして来たのです。パニック状態だったのでしょう。 着信が2回あり、かけ直したら緊急事態だと。 恐らく倒れて声掛けをし、反応に異常を感じたので私に連絡を取ったのだと思います。 その間、時間の経過は短くはなかったでしょう。 即座に判断して救急車を呼んでいれば、もしかしたら出血部位が少なく脳の損傷も軽く済み、後遺症も軽度だったかもしれない。 それは悔やまれてなりません。 なぜ、ここまで私に依存するのか。母の命がかかっていると言うのに。 以前、母が服薬自殺を図った時も、自室にいた私を慌てて呼びに来たことがありました。それ自体は問題ではないのですが、救急車を呼ぶ呼ばないで押し問答がありました。 更に母が救急に運ばれ処置を受けている間、別室で 「あのまま逝かせてあげてもいいかなと思ってしまった」 とボソッと話しました。 本人がそれを望んで大量の薬を飲んだのは事実ですが、それを放置するのは人として間違っていますし、ほとんどの人は、咄嗟に助けようと動くでしょう。 また、母が過去に胆石で手術を受けたのですが、その時もきつい黄疸が急に出ていたにも関わらず、痛み止めを置いてパチンコに出掛けたことがありました。 それに気付くのが遅れた自分にも落ち度があったのは事実で、父ばかりを責められませんが、あの顔色を見て異常と判断出来ないことに、驚きを隠せませんでした。 色々と書きましたが、健康な時と同様に鬱になった私への依存が変わらず、症状悪化で無理だと話しても、全く通じない父との距離の置き方が分からなくなってしまいました。 それに重ねて子供の頃から、家庭内の状況を知らないのに 「頑張れ。耐えろ。愚痴をこぼすな。笹かまの一家はあんたにかかっている。」 と嫌という程言ってきた親戚が来る。 その話を聞いただけで過呼吸が起きました。 また責められるんじゃないか 何をしているんだ、と叱咤されるんじゃないか そんな恐怖が何度も何度も蘇ります。 それと共に、精神疾患の子供として他のお母さん方にヒソヒソされながら、見下ろされた時の冷ややかな目。 非行に走ったと罵る近所の目。 友達の家に遊びに行った時の、私に対する軽蔑の目。 その時に感じた感情や情景そのものが、安全なはずの自宅で再現されました。 更にその親戚に体型のことで、何度もからかわれた過去があり、結婚式でも白無垢姿を笑われて、またバカにされるんじゃないかと、その事でも怖くなってしまいました。 母の衝撃的な姿 病院のスタッフから言われた言葉で、動揺してしまった 父との距離の置き方が分からない 病院のスタッフから、また罵声を浴びせられるのではないか 親戚に「何をしているんだ」と責められるのではないか あのお母さん方のように白い目で見られるんじゃないか 太い太いと笑われるのではないか そんな事が一気に頭の中を駆け巡り、パニックを起こしてしまいました。 また、そんな事で母に会わない自分が情けなくも感じました。 罪悪感で一杯の日々が過ぎていきます。 消えたいと思う頻度も増えました。 上記に書いた出来事は覚えているけど、その間に何があったのか、自分の生活がどう営まれていたのか、実家からどのようにして帰宅したのか、全く記憶がありません。 時に今日が何月なのかも分からない時もありました。 幸い今はその症状も和らいできています。 それでも罪悪感だけはなかなか消えず、睡眠が少しでも取れたことにさえ、湧いてくる状態です。 自分が思っている以上に無理をしていたんでしょうね。 夫からも 「何も悪いことはしていない。今は治療が先だ。」 と何度も言ってもらってます。 でも、私の頭はまだ混乱していて、気持ちも安定せずに複雑な思いで一杯です。 この状態も時間の経過と共に軽くなって行くと思っています。ただ、それがいつまで続くのかは分かりません。 主治医も見通しを立てるのも難しいのではないかと考えています。 まさに手探り状態ですね。 出来れば母が寿命を迎えるまでに、互いに笑顔を見せ合えたらという目標で進もうと思っています。 長い長いブログにお付き合い下さり、心より感謝申し上げます。 2020年01月18日 03:53
お下の話(排泄)なので、苦手な方は気をつけてください。 あと、自分の経験談をつらつら書いている内容なので、今回のブログも長編です。感情ダダ漏れで読みにくいかもしれないので、初めに謝っておきます。 トイレに自由に行ける生活を非常にありがたく思う、今日この頃。誰にも行くなと言われない。 これは母親と一緒に生活していた頃の話です。 汚い話になります。 母親はOCD不潔恐怖で今も治療中なのですが、一番強く強迫行為が出るのが排泄関係です。 この排泄によって、家庭内に緊張が走り逃げ出したい衝動に駆られる、非常に苦痛な時間でした。 それは自分のみならず、当の本人もかなり苦痛だったと思います。 毎週金曜日に排便をするよう、下剤で排便をコントロールしていました。 排尿よりも排便の方が不潔と感じる恐怖心が募り、排尿時に比べて手洗いの時間や回数増えて負担になる理由からです。 それらの事情で、負担を減らすために週に一回排便するルーチンを作っていました。 その金曜日にトイレに行けない非常事態の話です。 トイレの真横に、昔懐かしい小さな手洗い場があり、その手洗い場から階段が続いているのですが、2階に自分の部屋があるので、母親が手を洗い始めると1階に降りることが出来なくなります。 手洗い中に数を数える症状?というか儀式的なものがあります。例えば100数えないと手洗いを終えることが出来ないみたいな儀式。 儀式が遂行出来ないと 「数が数えられない!そばを通るなっ!」 と言われるので、邪魔しないように注意します。 また、母親の近くを通ること自体気持ち悪いと訴えるので、母親には近づけません。 近づく事が出来ない母親が、トイレの前にいて遮る形になるので、トイレに行けない状態になってしまうのです。 しかし生理現象は意図せず起きてくるため、尿意をギリギリ我慢という軽い地獄を見ます。 尿意を我慢するのってすごく辛い。人間の生理的欲求のひとつですしね。 その欲求を満たさないと、心身共に不具合も出るわけで。 母親に「トイレに行きたいんだけど」と言っても 「お母さんが手を洗い終えるまで待って」 で終わってしまう。 その間に膀胱タンクはどんどん限界に近づいていきます。 もうダメだっ! と思ってスーパーの袋に出そうかと考えた時もありましたが、母親の耳は地獄耳で排泄音や袋のガサガサ音にすぐさま反応します。 いや、実際に排泄した事はないのですが、手洗い中に2階でごそごぞしていると 「気が散って数が数えられない。何か音がするけど何してるん?」 と聞かれるので、下手な動きは出来ません。 なので、袋に排泄する案は却下。年頃の女性がするような事ではないですしね。 となると外でするしかない。 じゃあ何と母親に伝えるか。これも非常に難易度の高い方法です。 数を数えきった所で切り出すか、もしくは他の出来事で数が途切れた瞬間を見計らって伝えるか。 階段の上から母親の手洗い状況を伺います。 数を数えきった後に、一度父親が排泄物を流しにトイレに入るのですが、その時を狙って 「トイレに行きたい」 と言います。 そのままトイレを使えたらラッキー。 (以後、手洗いを儀式と呼びます) 1度目の儀式がすんなりいけば、2度目は次の足洗いの儀式に移るので運がいい。 しかし、運が悪いと2度目に手洗いの儀式が始まるので家のトイレは使えません。 そうなるとやはり外でするしかありません。 ただ、お花摘みはモラル的にも法的にもまずいので、近くの公園に向かいます。 当時はコンビニはほとんどなくて、近所は田畑のみの真っ暗な生活道路くらい。 そのためトイレ目的なら公園しかありませんでした。 切羽詰まった状態で自転車を漕ぐのも辛かった。 真っ暗な道を自転車の明かりを頼りに急ぐ。 言い忘れましたが、母親の儀式は父親がいないと出来ないため、自然と夜になります。 用を済ませたあとは帰宅するだけなのですが、行きは必死で周りを気にする余裕もないだけに、冷静に見渡すとかなり怖い。 住宅もあるけど、ほぼ電気は消えている。 街灯は点いたり消えたりで不気味。 公園にも自分だけしかいない。 こうして外でトイレを探す時は、後ろを振り返りながらがむしゃらに自転車を漕いで帰りました。 22時以降の場合が多かったので、下手すれば補導されたかもしれませんね。 無事に家についたら、まだ儀式は続いている。 手洗い場と玄関が近いため、今度は玄関で儀式が終わるまで待たないといけません。 トイレ一つにこれだけの労力を使えたのは、まだ若かったからなのか、病気だから協力しないとと思う気持ちからなのか。 今になってもさっぱり分かりません。 ただ理不尽だとは感じます。 こんな生活が数十年続いたためか、誰にも制限されることなくトイレに行ける自由がある、そんな現在の生活に有難みを覚えます。 普通のことが普通に出来ないストレスは、かなり堪えますね。 二度とあんな生活はしたくないな。 夜遅くに一人で公園に向かう娘を、誰一人と案じない親達にも、大人になった今も驚愕と軽蔑しかないです。 つらつら書きましたが、人間の生理的欲求を安全に満たすのは当たり前。 当たり前を壊すな、と当時の心情に却って吐き出してみました。 長い長いブログを読んでくださった方に感謝申し上げます。 2019年12月19日 03:51
プロフにある通り、実母は未だ不潔恐怖症で治療中です。 かれこれ35年薬物療法を続けていますが、症状が固定し慢性化しています。 実母の場合は、対象がウイルスや菌類ではなく、日常で起こる偶然から症状に繋がるパターンがほぼ占めています。 トイレが気持ち悪いと思う場所。 そのトイレから出る時に間違って壁に手をついてしまったら、その部分には二度と触れない。 本人だけでなく家族も同様。 なぜなら不潔恐怖の対象がトイレで、そのトイレから出た時点で人間も気持ち悪いから。 その気持ち悪い人間が手をついた場所は、実母にとって不潔恐怖の対象に変わるのです。 外出から帰宅した場合も同じ反応です。 家の外は全て不潔な空間と感じるとのこと。 帰宅して直ぐに手足を洗い、持っているカバンを布巾で拭きます。 夏だろうが冬だろうが関係なく、ルーチンワークになっていて、やらなければ怒り「なぜ理解してくれないんだ」と叫び、挙句にはシぬと言われるので、言われた通りにするしか選択肢がありませんでした。 今の時代ならあえて協力せず、本人にもなるだけ我慢してもらう。 それを根気強く本人と共に頑張るのが理想だと思うのですが、当時は昭和時代で精神疾患への理解も認知度も低いため、相談する人もいませんでした。 主治医も薬出しておけばいいでしょ、という対応だったので何かしら聞く事もはばかれた感じです。 私たち家族も何が正解なのか、どう対応すればいいのか全く分からない状況で、実母をなだめるくらいしか方法がなかったと言えばいいのかな。 それがかえって悪影響だと知ったのはここ数年の話で、巻き込み型と言われる状態なのも最近知りました。 治療も薬物療法が中心ですが、実母が外が気持ち悪くて出られないと言うので、代理として実父が病院に通っていました。 終始このような状態が35年続いています。 今は疎遠になり実家に帰る機会もありませんが、まだ共依存的な時には、再三足を運ぶように求められ「仕方ないな」と思いつつ帰っていました。 しかし外部の人間である私は、玄関先からしか会話が出来ません。 実母が気持ち悪いと思うから。 一旦家にあがり手を洗いますが、その後は部屋に入らず玄関へ戻り、リビングにいる実母の顔が少し見える位置で話す形です。 始めはそれでも仕方ないと思う自分がいて、徐々に違和感を覚えるのですが、それまでにかなりの時間を要しました。 それだけ子供の頃から、実母の症状に合わせて行動をとるよう刷り込まれていたんですね。 違和感から異常だと確信した出来事のひとつに、披露宴のDVDを渡しに出向いた時でした。 夫が参加出来なかった実母のためにとダビングしてくれたDVDが、渡した瞬間に中身を確認もせずに床に置かれたこと。 実父に手渡ししましたが、DVDをケースから出さず 「母さんが気持ち悪いと言うから、とりあえずここに置いとくわ」だそうで。 その後何度か実家に行きましたが、渡したDVDが動かされた形跡もありませんでした。 もちろんこの事は夫には話していません。 夫の優しさを傷つけるようなことは出来ない。 今なら実父母に怒り狂い、なんなら張り倒す勢いで詰め寄るでしょう。 でも、その時は出来なかった。そこには唖然とする自分の姿しかなった。 そんな自分が悔しくて情けなく感じます。 長い月日、365日欠けることなく実母の症状に巻き込まれ、言われる通りにしないと怒鳴られ叩かれる。 「お前が悪い」 そう言われながら二人して責め立てる。 小学生の自分が逆らえる訳もなく、怯えるしかない。 時に反抗するとコろしてやると家中追いかけられ、泣きながら謝った事もありました。 この話を書くだけで動悸が起きるくらい、今でも恐怖を感じる出来事だったのでしょうね。 話があちこち飛んでしまいましたが、一緒に生活していても嫁いでからも求められる事は変わらず、全て実母の症状を基準に行動の制限がかかります。 実母がこれらを異常だと自覚し、病気と向かいあった時に初めて本当の治療が始まると考えています。 求めたことを家族が協力すると思っているうちは、良くならないでしょうね。 我慢しなきゃ、と口では言ってましたが 「無理だ。怖い。なんで私がこんな目にあわないといけないの。お母さんだけ苦しい思いをするのは不公平だ。」 と言うのでは協力しても、焼け石に水だなと感じます。 長々と書いてしまい、ここまで読んでくださった方に申し訳なく思います。 これらは実父母と生活した数十年の一部で、まだまだ自分を苦しめる記憶があります。 吐き出しでこちらに書いているので、こうして読んでくださった方に感謝申し上げます。 今は治療中の段階で、この先自分がどう変化するかは正直分かりません。 でも、悲観的にならずに懸命に治療に励みたいと思っています。 2019年11月27日 04:19
小学生の頃、あまり既製品のお菓子を買ってもらえなくて、手作りのおやつが多かった思い出。 母の状態が子供の目で見て分かるほどおかしくなってからは、おやつを食べる機会も一気に少なくなりました。 そんな中母が必死で作ったであろう、おにぎり。 前夜の残りのご飯で握ってくれるのですが、ほのかに石けんの味がしていました。 診断を受ける数年前からうつ症状が出始めて、母が家事が出来ないと父に訴えていた姿を覚えています。 それを真剣に聞かない父の態度も鮮明に覚えています。 その後、徐々に手洗いの回数が増え、洗濯や掃除に時間がかかり、使う食材の種類も生物がダメになって食事内容が変わっていきました。 何度も何度も手を洗うので、手に石けんの成分か香りが残るのかも知れません。 一口食べるごとに、お米と石けんの味がする、妙なおにぎり。 海苔も巻いてない白おにぎりを店頭で見かけると、ふとその時のことを思い出します。 2019年11月22日 18:06
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