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ユーザー名(ID) リトルミィ (39601)
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リトルミィ
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5
性別 女性
生年月日 非公開
血液型 O型
居住地 京都府
趣味 犬と寝ること
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つぶやきの投稿履歴

今日良かったこと ・やっとさったんが嫁に行けたー! ・明日は姪っ子甥っ子とラーメン食べに行く(と思う) ・旦那が15年ぶりくらいに旧友に会った。旦那は腸風邪になってて懐かしんでる余裕なかったけど、これを機会にまた二人の交流が始まればいいなと思う。素敵な車を買ったと、自慢できる相手がいないよりいる方が楽しいと思うしね。 ・チーフからメール来てた 2018年11月18日 03:21
部屋が散らかってるのは置いといて(笑) みんなふかふかの上でぐるぐる。 2018年11月18日 03:10
仏教の四苦八苦のうちの一つに愛するものとの別離がある 私はそう遠くないうちに、大切な大切な、大好きな子とお別れすることになる 必ず訪れる別離、それは分かってる 遺すよりは遺される方がいいことも分かってる それでももう少しは一緒にいたかった もっとたくさん楽しいことをしたかった あの子の望むものをあげたかった だけど後ろを向いてる場合じゃない 今からでもあの子に、いっぱいいっぱい楽しいをあげなきゃ。 2018年09月27日 15:06
ここ最近良かったこと ・久しぶりにみんなでご飯行った、つばたんも仕事決まったって言ってたし、さったんも来月から新居に移れそうだし、みんながうまく回り始めてて嬉しい、私もね ・さったんが誕生日プレゼントくれた、超高級そうな食パン!まじで美味しい ・訪問で羊毛フェルト始めた、最初はなかなか難しいな… 2018年09月15日 02:55
今日良かったこと ・北海道の友達から、無事を知らせる連絡がきた、地震が起きてすぐも大丈夫って連絡くれたけど、ようやくいろいろ安定したみたいで本当に良かった ・窓ガラスは裏の家の人の保険で直せることになった ・来週から羊毛フェルト ・カエルのキーホルダーが見つかった 2018年09月08日 04:34
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「私と小鳥と鈴と」 私が両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、 飛べる小鳥は私のように、 地べたを速くは走れない。 私がからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴は私のように、 たくさんな唄は知らないよ。 鈴と、小鳥と、それから私、 みんなちがって、みんないい。 ーーーーーーーーーーーーーーー 「自分の感受性くらい」 ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか 苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし 初心消えかかるのを 暮しのせいにはするな そもそもが ひよわな志しにすぎなかった 駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ ーーーーーーーーーーーーーーー ついでに ーーーーーーーーーーーーーーー 「倚りかからず」 もはや できあいの思想には倚りかかりたくない もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない もはや できあいの学問には倚りかかりたくない もはや いかなる威厳にも倚りかかりたくはない ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある 倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ 2018年11月18日 03:05
以前、汲むについて触れた折に 私は生牡蠣のような感受性をなくしてしまったと言ったけれど 生牡蠣のような感受性が 「大人になってもどぎまぎする 失語症 なめらかでないしぐさ 子供の悪態にさえ傷ついてしまう」 を指すものなら、 私はあいも変わらず生牡蠣のままだった 私は今日も昨日もいつも通りの私で 私自身分からなくなってたけど 過度に緊張したり 挙動不審になったり うまくしゃべれなかったり 話しかけるタイミングが分からなかったり 小さなことで涙が出そうになるくらい傷ついたり あいも変わらず弱くて ああ、嫌になるな、だけどこれが私だしなって 胸の痛みの苦しさに耐えながら思って あれ、私は、ならなければならないと思って縛られていた生牡蠣になっているのかもしれないと ふと気づく 「大人になってもどぎまぎしたっていいんだな ぎこちない挨拶 酷く赤くなる 失語症 なめらかでないしぐさ 子供の悪態にさえ傷ついてしまう 頼りない生牡蠣のような感受性 それらを鍛える必要は少しもなかったのだな」 茨木のり子は優しい気持ちでその言葉を投げかけてくれたんだろうか? だけど実際問題、生牡蠣のような感受性では生きづらくて仕方ない 生牡蠣のような感受性でいいなんて、すごくマイナーなルールで、 やっぱり世間を渡っていくには大抵のことには動じないようなタフさが肝心じゃない みんなそれを持ってて笑っていられてるんじゃないって思う だからと言って、 私はそんな風に強くはなれないんだけれど 毎日ぎこちない笑顔で歯をくいしばって その日その日を乗り切っていくことしかできないんだけれど 生牡蠣のような感受性のままでいいのよって提言する一方で 自分の感受性くらい自分で守ればかものよと 勧告する 兎にも角にも感受性が大事なのかしらん? すべてのいい仕事の核には 震える弱いアンテナが隠されている 確かにそうかもしれない、だけど その周りにたくさんの、いい仕事とは言えないようなものがあって、 それらがあるから対比していい仕事があり、 いい仕事をするひとの周りにたくさんの、 いいひととは言えないようなひとがいる 「いい」の指すものが生牡蠣のような感受性なら それを持たないものがいるからこそ 生牡蠣のような感受性が活きてくるのだと私は思う 「みんな違って みんないい」 私が小学生の頃に祖母にもらった本の言葉 まだ誰も金子みすゞを知らなかった頃 お祖母ちゃんが山口県の本屋さんで偶然出会って 本が好きな私のために買ってきてくれた本の中に 私にはその良さが全く分からなくて。 だってその頃の詩の世界は夏生が牽引していて、夏生が格好よくて、それ以外は野暮ったく感じてしまって だけど三十を超えて私も思う みんな違って、みんないい 法に沿って正しいひとも、誤ってるひとも。 犯罪ではないけどひとを傷つけてしまってるひとも、 前向きなひとも、後ろ向きなひとも 努力家も怠け者も、 どんなひとにも尊厳があって、 みんな違って、みんないい だから、 生牡蠣のような感受性を持ってるひとも それを持たないひとも どちらもいい 優劣なんてなくて どちらも正しく、どちらも、 世界が回っていくのに必要不可欠な存在 そして最後に私の中で、一つの詩に繋がるのです ーーーーーーーーーーーーーーー 「知命」 他のひとがやってきて この小包の紐 どうしたら ほどけるかしらと言う 他のひとがやってきては こんがらがった糸の束 なんとかしてよ と言う 鋏で切れいと進言するが 肯(がえん)じない 仕方なく手伝う もそもそと 生きているよしみに こういうのが生きているってことの おおよそか それにしてもあんまりな まきこまれ ふりまわされ くたびれはてて ある日 卒然と悟らされる もしかしたら たぶんそう 沢山のやさしい手が 添えられたのだ 一人で処理してきたと思っている わたくしのいくつかの結節点にも 今日までそれときがつかせぬほどのさりげなさで ーーーーーーーーーーーーーーー 私は、 なるべくは他のひとに 小包の紐をほどくのを甘えたりせず 自力でほどきたいと思う だけど、 他のひとがこんがらがった糸の束に苦戦しているとき おせっかいにしゃしゃり出て ほどく手伝いをするひとになりたいと思う サウイウモノニワタシハナリタイ(笑) だけどその裏にも沢山の優しさがあって 私が手伝いたい!と言うのを 手伝わせてあげてもいいよって受け容れてくれるひとや 手伝ってくれてありがとうって感謝してくれるひとや 自分の紐は自分でほどかなければならないから邪魔をしてはいけないよと教えてくれるひとがいて 成り立っている 驕らず だけど卑屈にもならず そこにある多種多様な優しさに 気づける人間でありたい by 葛西先生 2018年11月18日 02:41
世界にはたくさんの希望と、絶望がある もともとポジティブな人・ネガティブな人がいるけれど、病気を抱えてる人は不安定で、病気に負けないぞ、いつか必ず幸せになってやるって思える時もあれば、一生治らないんじゃないか、幸せなときがあってもまたすぐ不幸がくるんじゃないかとしか思えないときもある 希望を見出せなくなってるとき、どんな言葉も届かなくなるときがある 自分を好きでいてくれる人の優しい言葉も、頑張ってればいつかちゃんと辿り着けるって励ましの言葉も、あなたはあなたのままでいいんだよっていう肯定の言葉も だけど少しずつ、時間が解決していってくれて、少しずつポジティブな言葉も、自分に響いてくるようになる それに、響いてないように見えていても、本当は0.1mmくらいは響いてるように思う 身近にいる人の言葉は届かなくなってても、先人や偉人の言葉、好きな作家やアーティストの言葉、尊敬する人の言葉は、フィクションでありながら、でも心の奥底では信じたい気持ちもあって、いつかは彼らの言ってることの意味も分かるんじゃないかと、明日も生きなくちゃって思ったりする それでも、99.9%が絶望に染まってる感覚を忘れたわけじゃない 誰か助けてって叫んでるのに誰にも届かない 誰も私の欲しいものをくれない 辛い方辛い方へと物事が進んでいく 心安らぐ時間がなくて、起きてれば悪い考えに支配され、眠っても悪夢に見舞われ だけど、何とかなってきて、私は今も生きてる 未来に安心があるわけじゃない もう入院や自傷はしないと思ってるけど いつもそう思ってて、結局またしてきたから 今の平静がいつまでも続く自信なんてない 死を決めたとき、その人はどんな気持ちなんだろう 決めるに至るまで、たくさんたくさん救いを求めてきたと思う 未来を信じたり、人の言葉を励みにしたり、言い尽くせない努力をしてきたんだと思う それを打ち消して余りある絶望がそこにあって、その人は死を選ばざるを得なくなるのかな… 想像してみる 誰の言葉も届かなくなって、何も信じられなくなった私の心を どんな名言も鼓舞も響かなくなった私の心を もし0.1mmも響かなくなったら、私も死を選んでしまうような気がする だって何のために生きてるか分からなくなる 苦痛に耐えることだけが目的の人生なら、捨てたっていいじゃない 誰かのために生きるって何で? 誰かを悲しませないために生きてやる必要なんてある? 私はもう終わらせたいのに だけど、 大それた幸せじゃなくて、 好きな歌を聴いて心地良かったり、好きな漫画の続きが気になったり、そういうことのために生きていたいと思うかもしれない 私は強欲だから、未完のままでなんて納得して死んでしまうなんてできない もう何もかもどうでもいい 何も響かない 何もかもどうでもいい 死ねば終わる 死ねば無になって、何も気にならなくなる もう思い残すことは何もない なんて悲しいんだろう… どんな言葉も彼女には響かなくなった どんなものも彼女を引き留める材料にはならなくなった 彼女は一人っきりで死んでいったんだろうか いや、ごめんなさいと言っていた 誰に対してかは分からないままだけど、二人、彼女の心の中にいたまま、彼女は死んでいった 今、彼女がその人たちを好きなだけでいられるといいな その人たちに迷惑をかけなくなったことで、呪縛から逃れていられるといいな 私には好きなものがいっぱい 死ぬには気がかりすぎるものがいっぱい きっとそう思える心が幸せ 精神的なこと、物理的なこと、どちらとも言えないような取るに足らない、だけど、私には大切なもの、責任なくただ好きでいられるもの 生きていく理由って、そんなものでいいと思った そしてそんなものすら響かなくなってしまって死んでいった人たちのことを想って、胸が痛くなった 幸せじゃなくていい 不幸でもいい だけど、一つでいいから、みんなの心の中に好きなものがあるといいなと思う 2018年10月29日 14:52
昨日ピースが死んだ 12歳。老衰と言うにはまだ若すぎる、ガンでした 腫瘍自体は3年ほど前からあったけど、つい半年ほど前までは至って元気でした 治療の方法がないと言われてからも今までどおり元気だったのに、2ヶ月くらい前から急に調子が悪くなり、2週間前にぐったりして、でも薬で一時的に回復して、だけど1週間前に歩けなくなり自発的に食べなくなり、翌日には起き上がることもできなくなり、薬も効かなくて、そのまま死んでいきました お父さんもお母さんも、泣いたでしょう 朝起きて、開口一番私に「ピースが死んだって」って言った旦那は、びょうびょうと泣きました。15年一緒にいて、初めて見る姿でした 私は、あまり悲しくありませんでした 痛いまま、飼い主のエゴで生き長らえさせられるのは可哀想と思っていたし、そもそも死は私にとって憧れるもの・欲しいものだし、何より、誰かや何かが亡くなるのはその人の主体性によるものなんだから、それに対して私の主観で「寂しい」「悲しい」なんて言うのは、私のエゴなんじゃないかと思うから ピースは、体力の限界まで生きて、死んでいった あかりは、体力の限界を迎えそうなとき、私に捕まえられて生き延びた そして祐は、まだまだ生きられる体力があったけど、精神の限界を感じて、死んでいった 死ぬこと、生きてるということ その違いに思いを馳せる 生きているもの、死んでしまったもの 何がどう違う 触れられるか触れられないか 容れ物があるかないか ピースは私のことを好きなままで死んでいったでしょう 私のことも、お父さんのこともお母さんのことも旦那のことも。 ほかの家族のことも好きだったと思うし、他にも好きなものがたくさんあったでしょう 私とピースは会わなかったときもあった 全然実家に帰らず、半年くらい会わなかったこともある だけど会いに行けば大歓迎してくれて、しっぽを振って「撫でて撫でて」って言って、一緒にお出かけしたいなって誘ってくれるって思えていた、実際そうだった もう会えない でもそれは、私がピースのことを忘れることじゃない、ピースが私のことを忘れるわけでもない また会えたら、ピースはしっぽを振って「撫でて撫でて」「一緒にお出かけしようよ」って言うだろうという確信がある 確信があるなら、実体があるかないかなんて大きな問題じゃない気がする 後悔がないわけじゃない もっと早く治療を始めていればとか、亡くなる前にもう一度お出かけしてあげたかったとか、もっと体にいいもの食べさせてあげればよかったとか だけど満足のいく死なんて有り得ない だから少しくらい後悔があって、その分忘れられずにいられるなら、それはそれでいいんじゃないかと思う ピースのことも、ちゃこのことも、モモコのことも私は忘れない 今私の元にいてくれるちびたち いつかはみんな死んでいく だけど悲しんでる場合じゃないと思う 一人が死んでも他のちびはいるし、何だかんだと犬猫が寄ってくる人生だから、私が望まずとも新しい子たちが来るとも思うし 死ぬべくして死んでいったピース 起死回生して生き延びたあかり 自ら生きることをやめて死を選んだ祐 祐と私は、仲違いしたまま終わってしまった 私の中の祐は私を憎んでいるし、祐の中の私は祐に何もしてくれない 祐について、そして祐と私について、答えのない自問自答が終わらない 私は祐と離れたとき、私と祐がこれからも繋がっていくためには一旦離れる必要があると思うと言った 3年先に再び交われるなんて思っていなかった 10年後、20年後、お互いの半生を思い返しながら「いろいろあったよね」って笑い合えればいいと思ってた 共依存 私がいないと生きられなかった祐と 祐に頼られなければ生きられなかった私 いつまでもそんな関係でいてはいけないと最初に思ったのは私で 私を好きじゃなくなったから忌むべき存在だと思ったのは祐 0か100か思考 お互いがそれぞれ歪で、だけどお互いしかいなかった2人 祐は何のために生まれてきたんだろう 何のために生きていたんだろう ずっと死にたいと言っていた 自殺したい だけど、自殺が周りにどれだけ深い傷を残すかを誰よりも知っていた PTSD 母親の自殺 祐はずっと苦しんでた 死にたい・生きたい・生きなければいけない 「うちの人生、そんなに悪くないと思う」「うちは恵まれてると思う」って言ってた祐 「焦らないでいこう、コツコツといけば、いつか必ず行きたい場所に行けるよ」って言ってた私 祐も、そうだよね、明日幸せになれなくても、10年後笑えてればいいよね、10年後仕事できるようになってればいいよね言ってた だけど彼女が欲しい、彼女が欲しいって、彼女さえできれば幸せになれるのにって言ってた でも実際には彼女ができても幸せになれなかった 愛せない、人が自分を愛してるということを信じられない 彼女ができても幸せになれない、心理学を学んでも、認知行動療法をしても、就労訓練をしても働くことができない、もちろん心を開ける友達もいない 生きてるのしんどいな このまま生きていても幸せなんかこないんじゃないかな 幸せがきたとしても、またすぐ不幸が襲ってくるんだろうなって 絶望して 死んでいったのかもしれないな 人を憎んでるうちは死なずにいれる だけど自分に幻滅してしまったら、生きていけなくなるかもしれない 祐は自分は何もできない、自分で買ったペットのことすら気まぐれにしか可愛がれない、自分がいなければ周りはもっと幸せだっただろう、そんな気持ちを抱えながら生きてるのがしんどいなって書き残して、そしてごめんなさいと書いて、死んでしまった 祐はずっと死にたがってた それを私が止めてた、父が止めてた、病院が止めてた ようやくそういうしがらみから解放されて願いを叶えた祐に対して 悲しいとか、寂しいとか、可哀想とか思うのは失礼な気がするって 私は言った だけどそれは自責から逃れたい気持ちが言わせた言葉だったと今になって思う 悲しいも寂しいも可哀想も違う 申し訳ない、私が死なせてしまったと、 それなのに私は生きていくしかないと、 自分が潰れそうと思うくらいに、思う ピースはたくさんの好きなものを持ったまま死んでいった 今頃、痛みから解放されたピースは、好きな人のことを思い出して、楽しかったことを思い出して、また会いたいなぁ、また行きたいなぁって思ってるかもしれない だけど祐は 世界に絶望して死んでいった 生きたいと思える理由になるほど好きな物事もなく、その人がいるから生きていたいと思える人もいなく、過去は辛く、未来にも希望がなく、何にも救いを見出せないまま死んでいってしまった そのことを想うと 私の中の祐は笑ってくれない 祐が今、現世というしがらみから逃れて笑っていると思えないし 次に私と会ったとき、会いたかったとは言ってもらえないという疑念があるから 祐の体がもうこの世にはないことが つらくてつらくて堪らない 満足のいく死なんて有り得ない だけど、生まれてきたこと・生きていたことに意味はあったんだろうかとしか思えない死は 生きていながら背負っていくには重すぎるものだなと、 私だけではなく、父や妹や、何も知らない友達も、 ずっと苦しんでいかなきゃいけないんだなと、 暗い気持ちに支配されてしまう 死と生 生きたいけど死んでしまったもの 死にたくて死んでいったもの 死なずに生を与えられたもの それらを分けるもの、肉体、精神力 死をもって、生を考える 生きているものと死んだもの その隔たりにあるもの そこには何があるんだろう 後悔、寂しみ、救い、空虚 それでも、人が本当に死ぬのは人に忘れられたときという言葉の意味を 深く知る、ピースの死 私はこれからも、ひざに乗る小さな命を愛して、ずっと生きていかなくちゃ そして祐のことも守れるくらい強くなってから、祐に会いに行こう …死後の世界があるとは思ってないんだけどね。 2018年10月22日 02:00
今日、8歳年上の、子供が出来なかった既婚女性と話した まだ若いからこれから? それとも貴方も子供が出来なかったの? 私はこの質問には、不妊治療したけど出来なかったんですって答える 本当は、理由はそれだけではないんだけど 私は、その女性には子供がいると思ってた その女性は大人だったから 私とは違って、幼いところの全くない人だったから(いや、今思えば、最初に私服を見たときに違和感は感じたんだけど。母親じゃなさそうな服…もうお子さんが大きいからなのかなって思った) その女性と私は、 全く考え方の違う人間だと感じる 彼女は大人で 私は幼い 住んでる国が違うんじゃないかと思うくらい 種類の違う人間だと感じる あと8歳年をとったら 私もあんな風になれるんだろうか いや、100%なれない、ならない 私はいい大人の年齢だけど ゲームに勤しみ 漫画を読み ちびたちと遊んで 部屋を散らかして 旦那に怒られる毎日 彼女は毎日をどんな風に過ごしてるんだろう… 少なくともゲームと漫画はしてない気がする 心の中にはいつも、「汲む」がある 良くも悪くも。 私は、生牡蠣のような感受性をなくしてしまったのに 大人の感受性も持てない もちろん、誰だって、自分にしかなれない みんな違って、 私より目上の人にも、私と近い感受性の人もいるし 私より年下の人にも、大人の、母親の、感受性を持つ人もいる 何か正解があるわけじゃない 私はまだずっと間違った生き方をしてるとしか思えずにいるけど、 だからって、誰か、その生き方こそ素晴らしいと思える人がいるわけじゃない 大人、大人じゃない大人 母、母にならなかった人、母になれなかった人 十人十色の感受性 みんなが正しくて、みんなが正解でないこと 私は生牡蠣のような感受性をなくしてしまったけれど それでも今まだ残ってる、染み付いてる、私の幼い感受性を ずっと待っていたい それが私のアイデンティティであって欲しい 私には、ずっと私のままでいて欲しい 「私らしく生きていこう!」なんて、 二流のファッションブランドみたいなことは言いたくない 私らしくとか、大人らしくとか、正しくとか そんなこと考えずに、 私らしくなくても、何でも、そのとき私が感じたように生きていたい、ただそれだけ それを人がどう思うとか、 私がどう思うとかなんて、 気にしない私のままでいたい、ただそれだけ 好きな服を着て、 好きな音楽を聴いて、 好きなゲームをして、 好きな漫画を読んで、 大好きなちびたちと戯れて、 くるくると弾みながら歩いて、 歌ったりなんかもして、 気持ちが高ぶれば泣いちゃったりしたり、 ちびたちに話しかけながら、 私は、そんな風に自分の好きなようにしていたい いつか常識人になりたいと思ったら、その時はその気持ちに従えるような、 素直な人間でありたい 50になった私、60になった私 楽しみじゃないの!私、果たしてどうなってる⁈ でもきっと何も変わらない きっと、昨日より良い今日を、今日より良い明日をって、10年経っても、20年経っても思ってる でもその女性はその女性で、とても幸せそうだけどね 自分は正しい、正しい人間として生きていたい、だから声を大にして自分が正しいと思うことを人に伝えたい、理解させたい そういうのも、楽しそうで、幸せそうで、羨ましいけどね、私はなれないけど ーーーーーーーーーー 汲む 〜Y・Yに〜   茨木のり子 大人になるというのは すれっからしになるということだと 思い込んでいた少女の頃 立居振舞の美しい 発音の正確な 素敵な女のひとと会いました そのひとは私の背のびを見すかしたように なにげない話に言いました 初々しさが大切なの 人に対しても世の中に対しても 人を人とも思わなくなったとき 堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを 隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました 私はどきんとし そして深く悟りました 大人になってもどぎまぎしたっていいんだな ぎこちない挨拶 醜く赤くなる 失語症 なめらかでないしぐさ 子どもの悪態にさえ傷ついてしまう 頼りない生牡蠣のような感受性 それらを鍛える必要は少しもなかったのだな 年老いても咲きたての薔薇 柔らかく 外にむかってひらかれるのこそ難しい あらゆる仕事 すべてのいい仕事の核には 震える弱いアンテナが隠されている きっと… わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました たちかえり 今もときどきその意味を ひっそり汲むことがあるのです ーーーーーーーーーー 2018年09月21日 04:24
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