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ユーザー名(ID) リトルミィ (39601)
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リトルミィ
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20
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4
性別 女性
生年月日 非公開
血液型 O型
居住地 京都府
趣味 猫と犬と寝ること、猫や犬を膝に抱くこと
自己紹介 犬が大好き
でも最近猫も大好き
自分とこの子の言ってることは大体分かる気がする
理解し合える子たちと一緒に過ごせることって本当に幸せ
仕合せ
アクセス環境
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今日のこと 今日は風邪ぶり返したし、自分の配慮のなさに嫌気がさしたし、全く無縁の人にブロックされてるし、探してた漫画は売ってないし、バイク乗ってたら嫌なことばかり思い出すし、期待して食べたオリーブ餅は不味いし、よろしくない一日! 寝る!そして切り替える!こーゆー日もあるさ! 2019年01月24日 00:28
今日良かったこと ・無事?レクレーションが終わったー。全然無事ではなかったけれども。東名阪道、事故でほとんどバスで過ごして終わったけれども(笑) ・初めてクラブハリエ行った。マカロンとかレモンケーキも売ってたし生ケーキもすっごく美味しそう!今度は生ケーキ買いに行きたいなー ・来月のシフト、うっかり休み忘れた日を他の人に代わってもらえて事なきを得た、ほっ …でも来月からしーちゃん異動やって…(泣) 2019年01月23日 01:10
昨日良かったこと ・思い付きで編んだマフラーがでら可愛い。めっちゃ私好み ・体調不良で一人休んだ。私に入れない?って声かけてもらえた。頼りにされて嬉しい! ・イングリッシュマフィン2割引で買えた 2019年01月17日 14:50
今日良かったこと ・クロワッサン食べ比べ〜。サクサクのとバターたっぷりのとしょっぱいの(笑)いつも食べてる塩クロワッサンよりしょっぱい気がするんやけどな ・いい調子が2ヶ月くらい続いてる。薬も減ったまま維持やし、薬少ないからか体も軽いし、良い循環や お昼は冷凍カレーうどん食べた。美味しいやつ。今日は食べてばっかの一日(笑) 2019年01月11日 00:15
昨日良かったこと ・なんてこった!怖いさんに褒められた!!!あー泣きそうなくらい嬉しかった。これからも仕事頑張ろー!って思えた。 ・最近面白い漫画にたくさん出会えて楽しい ・りんりんのめっちゃ可愛い写真撮れた 2019年01月11日 00:10
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光が私の膝の上で、安心しきって眠ってる 私が撫でてもぴくりとも動かない ときどき目を開けて、大きなあくびをしたりする 一度白目を剥いて眠ってたときは気持ち悪かったけどぐっすり眠ってくれてることが嬉しかった 夜は腕枕して、朝目覚めるまで同じ体勢で寝てる ときどき、朝ご飯も食べずに一緒に寝てて、旦那に「光、朝ご飯まだやから起きたら食べさせてな!」って言われたりもする もともと依存体質で、誰かが私に甘えてくれることに依存しがちだった 光が来る前だって、ちびたちを溺愛してたし、この子たちは私がいないと生きていけないんだ!って思うことで満たされてたりもした でも光は特別守ってあげたいという気持ちになる 赤ちゃんの時から育てたからかな?体が一番小さいからかな?一番ふわふわしてるからかな? 理由は何でもいい とにかく光が可愛くて可愛くて、大切で守りたくて、大好きで癒される 野良のトラらしく、やんちゃで野生的だけど、無条件で甘やかしたくなる、何をされても許しちゃいたくなる ずっと犬ばっかりだったからなー もちろん犬が大好きだし、多分何だかんだ言ってもやっぱり犬派だし だけど猫の魅力にメロメロ かーちゃん、光が可愛すぎてメロメロだよー あの人は、前の犬のときもそうだったけどさ、 あんまり動物を飼うのに適した人じゃないよね? いや、依存してる人はあんまり良くないとは思うんやけどさ。亡くなってペットロスになるのも苦しいしさ。どれが正解とか分かんないんだけど、もう少し世話してあげてもいいんじゃないかな?もう少し、自分の中で割合多くてもいいんじゃないかな?って思ってた そんで猫を飼ってさ 猫を飼う理由はたくさんあったと思う 散歩に行く心構えは持てない、だけど何かを世話したい、自分が誰かの役に立ってると思いたい 癒されたい、生きてるのが辛い中で無条件で好き!と思えるものが欲しい、自分のことも無条件で好きになってもらえたら嬉しい 一番好きなのが猫の映画 うつ病の人が動物を飼うのっていいことばかりじゃないって書いてて、私もそう思う その子のために頑張れることもあるけど、その子がいるから頑張らなきゃいけないと思うと負担だし、頑張れなかったら頑張れないで自分を責めちゃう そういうところをちゃんと見据えてない甘さはあったと思うけど… だけどさ こんなにモフモフしてて、ふかふかで、スベスベで、ぬくぬくしてる子を どうして愛さずにいられるのだろうか?! もう溺愛。 もしも友達がいなくなっても、お金がなくなっても、病気が悪化しても、この子を愛しいと思う気持ちはなくせないんじゃないだろうか、この子と過ごすときだけは癒されちゃうんだろうかって思っちゃうんだけどな… 猫。 それは世界で一番の癒しの生き物なんではなかろうか もちろん犬も可愛い なんなら犬の方が可愛い でも癒し度は猫の方が高い 何故なら猫は哺乳類にして軟体動物だからだ 猫。 猫と暮らしてて何で死ねちゃうんだろうな… 猫は飼い主が大好きかもしれない だけど飼い主が少々つれないときでも許してくれる気がする 気がするだけやけど。 それなのに猫の立場になって、自分が飼い主なんて可哀想だなんて思うなんて、そんな必要ないのに 最低限、ご飯あげて、トイレ掃除して、あとは調子がいいときに撫でてあげたり、遊んであげたりするだけでも猫は居心地いいと感じてくれそうに思うのに どこから来たのかに依るのかなぁ… ペットショップで高ーいお猫様買ってきたら、それ相応に可愛がらないと自責してしまうんかなぁ… 私の大好きなちびたち みーんな大好き 光だけじゃなくて、みんな違って、みんな大好き 今日はふと、あの人も猫を飼ってたのになって思ったから 私の癒したち 先生が、子供を産むと病気が良くなる可能性は高いですって言った だけど私はちびたちがいてくれるだけでずいぶん病気が良くなった気がするな 一匹ならまだしも、三匹いたらおいそれと倒れてられないもんな 話は逸れるけど もっと日本でもアニマルセラピーが浸透するといいな 老人福祉施設にセラピードッグが行くだけじゃなくて、医療施設にも行けたらいいのに セラピーキャットは聞いたことないけど、猫と触れ合うことで何とかかんとか物質が出ることは証明されてるんだから医療に活かせればいいのに お薬を飲むより、ずっとずっといいと思うんだけどな そうなるといいなぁ。 2018年12月19日 01:24
「私と小鳥と鈴と」 私が両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、 飛べる小鳥は私のように、 地べたを速くは走れない。 私がからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴は私のように、 たくさんな唄は知らないよ。 鈴と、小鳥と、それから私、 みんなちがって、みんないい。 ーーーーーーーーーーーーーーー 「自分の感受性くらい」 ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか 苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし 初心消えかかるのを 暮しのせいにはするな そもそもが ひよわな志しにすぎなかった 駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ ーーーーーーーーーーーーーーー ついでに ーーーーーーーーーーーーーーー 「倚りかからず」 もはや できあいの思想には倚りかかりたくない もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない もはや できあいの学問には倚りかかりたくない もはや いかなる威厳にも倚りかかりたくはない ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある 倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ 2018年11月18日 03:05
以前、汲むについて触れた折に 私は生牡蠣のような感受性をなくしてしまったと言ったけれど 生牡蠣のような感受性が 「大人になってもどぎまぎする 失語症 なめらかでないしぐさ 子供の悪態にさえ傷ついてしまう」 を指すものなら、 私はあいも変わらず生牡蠣のままだった 私は今日も昨日もいつも通りの私で 私自身分からなくなってたけど 過度に緊張したり 挙動不審になったり うまくしゃべれなかったり 話しかけるタイミングが分からなかったり 小さなことで涙が出そうになるくらい傷ついたり あいも変わらず弱くて ああ、嫌になるな、だけどこれが私だしなって 胸の痛みの苦しさに耐えながら思って あれ、私は、ならなければならないと思って縛られていた生牡蠣になっているのかもしれないと ふと気づく 「大人になってもどぎまぎしたっていいんだな ぎこちない挨拶 酷く赤くなる 失語症 なめらかでないしぐさ 子供の悪態にさえ傷ついてしまう 頼りない生牡蠣のような感受性 それらを鍛える必要は少しもなかったのだな」 茨木のり子は優しい気持ちでその言葉を投げかけてくれたんだろうか? だけど実際問題、生牡蠣のような感受性では生きづらくて仕方ない 生牡蠣のような感受性でいいなんて、すごくマイナーなルールで、 やっぱり世間を渡っていくには大抵のことには動じないようなタフさが肝心じゃない みんなそれを持ってて笑っていられてるんじゃないって思う だからと言って、 私はそんな風に強くはなれないんだけれど 毎日ぎこちない笑顔で歯をくいしばって その日その日を乗り切っていくことしかできないんだけれど 生牡蠣のような感受性のままでいいのよって提言する一方で 自分の感受性くらい自分で守ればかものよと 勧告する 兎にも角にも感受性が大事なのかしらん? すべてのいい仕事の核には 震える弱いアンテナが隠されている 確かにそうかもしれない、だけど その周りにたくさんの、いい仕事とは言えないようなものがあって、 それらがあるから対比していい仕事があり、 いい仕事をするひとの周りにたくさんの、 いいひととは言えないようなひとがいる 「いい」の指すものが生牡蠣のような感受性なら それを持たないものがいるからこそ 生牡蠣のような感受性が活きてくるのだと私は思う 「みんな違って みんないい」 私が小学生の頃に祖母にもらった本の言葉 まだ誰も金子みすゞを知らなかった頃 お祖母ちゃんが山口県の本屋さんで偶然出会って 本が好きな私のために買ってきてくれた本の中に 私にはその良さが全く分からなくて。 だってその頃の詩の世界は夏生が牽引していて、夏生が格好よくて、それ以外は野暮ったく感じてしまって だけど三十を超えて私も思う みんな違って、みんないい 法に沿って正しいひとも、誤ってるひとも。 犯罪ではないけどひとを傷つけてしまってるひとも、 前向きなひとも、後ろ向きなひとも 努力家も怠け者も、 どんなひとにも尊厳があって、 みんな違って、みんないい だから、 生牡蠣のような感受性を持ってるひとも それを持たないひとも どちらもいい 優劣なんてなくて どちらも正しく、どちらも、 世界が回っていくのに必要不可欠な存在 そして最後に私の中で、一つの詩に繋がるのです ーーーーーーーーーーーーーーー 「知命」 他のひとがやってきて この小包の紐 どうしたら ほどけるかしらと言う 他のひとがやってきては こんがらがった糸の束 なんとかしてよ と言う 鋏で切れいと進言するが 肯(がえん)じない 仕方なく手伝う もそもそと 生きているよしみに こういうのが生きているってことの おおよそか それにしてもあんまりな まきこまれ ふりまわされ くたびれはてて ある日 卒然と悟らされる もしかしたら たぶんそう 沢山のやさしい手が 添えられたのだ 一人で処理してきたと思っている わたくしのいくつかの結節点にも 今日までそれときがつかせぬほどのさりげなさで ーーーーーーーーーーーーーーー 私は、 なるべくは他のひとに 小包の紐をほどくのを甘えたりせず 自力でほどきたいと思う だけど、 他のひとがこんがらがった糸の束に苦戦しているとき おせっかいにしゃしゃり出て ほどく手伝いをするひとになりたいと思う サウイウモノニワタシハナリタイ(笑) だけどその裏にも沢山の優しさがあって 私が手伝いたい!と言うのを 手伝わせてあげてもいいよって受け容れてくれるひとや 手伝ってくれてありがとうって感謝してくれるひとや 自分の紐は自分でほどかなければならないから邪魔をしてはいけないよと教えてくれるひとがいて 成り立っている 驕らず だけど卑屈にもならず そこにある多種多様な優しさに 気づける人間でありたい by 葛西先生 2018年11月18日 02:41
世界にはたくさんの希望と、絶望がある もともとポジティブな人・ネガティブな人がいるけれど、病気を抱えてる人は不安定で、病気に負けないぞ、いつか必ず幸せになってやるって思える時もあれば、一生治らないんじゃないか、幸せなときがあってもまたすぐ不幸がくるんじゃないかとしか思えないときもある 希望を見出せなくなってるとき、どんな言葉も届かなくなるときがある 自分を好きでいてくれる人の優しい言葉も、頑張ってればいつかちゃんと辿り着けるって励ましの言葉も、あなたはあなたのままでいいんだよっていう肯定の言葉も だけど少しずつ、時間が解決していってくれて、少しずつポジティブな言葉も、自分に響いてくるようになる それに、響いてないように見えていても、本当は0.1mmくらいは響いてるように思う 身近にいる人の言葉は届かなくなってても、先人や偉人の言葉、好きな作家やアーティストの言葉、尊敬する人の言葉は、フィクションでありながら、でも心の奥底では信じたい気持ちもあって、いつかは彼らの言ってることの意味も分かるんじゃないかと、明日も生きなくちゃって思ったりする それでも、99.9%が絶望に染まってる感覚を忘れたわけじゃない 誰か助けてって叫んでるのに誰にも届かない 誰も私の欲しいものをくれない 辛い方辛い方へと物事が進んでいく 心安らぐ時間がなくて、起きてれば悪い考えに支配され、眠っても悪夢に見舞われ だけど、何とかなってきて、私は今も生きてる 未来に安心があるわけじゃない もう入院や自傷はしないと思ってるけど いつもそう思ってて、結局またしてきたから 今の平静がいつまでも続く自信なんてない 死を決めたとき、その人はどんな気持ちなんだろう 決めるに至るまで、たくさんたくさん救いを求めてきたと思う 未来を信じたり、人の言葉を励みにしたり、言い尽くせない努力をしてきたんだと思う それを打ち消して余りある絶望がそこにあって、その人は死を選ばざるを得なくなるのかな… 想像してみる 誰の言葉も届かなくなって、何も信じられなくなった私の心を どんな名言も鼓舞も響かなくなった私の心を もし0.1mmも響かなくなったら、私も死を選んでしまうような気がする だって何のために生きてるか分からなくなる 苦痛に耐えることだけが目的の人生なら、捨てたっていいじゃない 誰かのために生きるって何で? 誰かを悲しませないために生きてやる必要なんてある? 私はもう終わらせたいのに だけど、 大それた幸せじゃなくて、 好きな歌を聴いて心地良かったり、好きな漫画の続きが気になったり、そういうことのために生きていたいと思うかもしれない 私は強欲だから、未完のままでなんて納得して死んでしまうなんてできない もう何もかもどうでもいい 何も響かない 何もかもどうでもいい 死ねば終わる 死ねば無になって、何も気にならなくなる もう思い残すことは何もない なんて悲しいんだろう… どんな言葉も彼女には響かなくなった どんなものも彼女を引き留める材料にはならなくなった 彼女は一人っきりで死んでいったんだろうか いや、ごめんなさいと言っていた 誰に対してかは分からないままだけど、二人、彼女の心の中にいたまま、彼女は死んでいった 今、彼女がその人たちを好きなだけでいられるといいな その人たちに迷惑をかけなくなったことで、呪縛から逃れていられるといいな 私には好きなものがいっぱい 死ぬには気がかりすぎるものがいっぱい きっとそう思える心が幸せ 精神的なこと、物理的なこと、どちらとも言えないような取るに足らない、だけど、私には大切なもの、責任なくただ好きでいられるもの 生きていく理由って、そんなものでいいと思った そしてそんなものすら響かなくなってしまって死んでいった人たちのことを想って、胸が痛くなった 幸せじゃなくていい 不幸でもいい だけど、一つでいいから、みんなの心の中に好きなものがあるといいなと思う 2018年10月29日 14:52
昨日ピースが死んだ 12歳。老衰と言うにはまだ若すぎる、ガンでした 腫瘍自体は3年ほど前からあったけど、つい半年ほど前までは至って元気でした 治療の方法がないと言われてからも今までどおり元気だったのに、2ヶ月くらい前から急に調子が悪くなり、2週間前にぐったりして、でも薬で一時的に回復して、だけど1週間前に歩けなくなり自発的に食べなくなり、翌日には起き上がることもできなくなり、薬も効かなくて、そのまま死んでいきました お父さんもお母さんも、泣いたでしょう 朝起きて、開口一番私に「ピースが死んだって」って言った旦那は、びょうびょうと泣きました。15年一緒にいて、初めて見る姿でした 私は、あまり悲しくありませんでした 痛いまま、飼い主のエゴで生き長らえさせられるのは可哀想と思っていたし、そもそも死は私にとって憧れるもの・欲しいものだし、何より、誰かや何かが亡くなるのはその人の主体性によるものなんだから、それに対して私の主観で「寂しい」「悲しい」なんて言うのは、私のエゴなんじゃないかと思うから ピースは、体力の限界まで生きて、死んでいった あかりは、体力の限界を迎えそうなとき、私に捕まえられて生き延びた そして祐は、まだまだ生きられる体力があったけど、精神の限界を感じて、死んでいった 死ぬこと、生きてるということ その違いに思いを馳せる 生きているもの、死んでしまったもの 何がどう違う 触れられるか触れられないか 容れ物があるかないか ピースは私のことを好きなままで死んでいったでしょう 私のことも、お父さんのこともお母さんのことも旦那のことも。 ほかの家族のことも好きだったと思うし、他にも好きなものがたくさんあったでしょう 私とピースは会わなかったときもあった 全然実家に帰らず、半年くらい会わなかったこともある だけど会いに行けば大歓迎してくれて、しっぽを振って「撫でて撫でて」って言って、一緒にお出かけしたいなって誘ってくれるって思えていた、実際そうだった もう会えない でもそれは、私がピースのことを忘れることじゃない、ピースが私のことを忘れるわけでもない また会えたら、ピースはしっぽを振って「撫でて撫でて」「一緒にお出かけしようよ」って言うだろうという確信がある 確信があるなら、実体があるかないかなんて大きな問題じゃない気がする 後悔がないわけじゃない もっと早く治療を始めていればとか、亡くなる前にもう一度お出かけしてあげたかったとか、もっと体にいいもの食べさせてあげればよかったとか だけど満足のいく死なんて有り得ない だから少しくらい後悔があって、その分忘れられずにいられるなら、それはそれでいいんじゃないかと思う ピースのことも、ちゃこのことも、モモコのことも私は忘れない 今私の元にいてくれるちびたち いつかはみんな死んでいく だけど悲しんでる場合じゃないと思う 一人が死んでも他のちびはいるし、何だかんだと犬猫が寄ってくる人生だから、私が望まずとも新しい子たちが来るとも思うし 死ぬべくして死んでいったピース 起死回生して生き延びたあかり 自ら生きることをやめて死を選んだ祐 祐と私は、仲違いしたまま終わってしまった 私の中の祐は私を憎んでいるし、祐の中の私は祐に何もしてくれない 祐について、そして祐と私について、答えのない自問自答が終わらない 私は祐と離れたとき、私と祐がこれからも繋がっていくためには一旦離れる必要があると思うと言った 3年先に再び交われるなんて思っていなかった 10年後、20年後、お互いの半生を思い返しながら「いろいろあったよね」って笑い合えればいいと思ってた 共依存 私がいないと生きられなかった祐と 祐に頼られなければ生きられなかった私 いつまでもそんな関係でいてはいけないと最初に思ったのは私で 私を好きじゃなくなったから忌むべき存在だと思ったのは祐 0か100か思考 お互いがそれぞれ歪で、だけどお互いしかいなかった2人 祐は何のために生まれてきたんだろう 何のために生きていたんだろう ずっと死にたいと言っていた 自殺したい だけど、自殺が周りにどれだけ深い傷を残すかを誰よりも知っていた PTSD 母親の自殺 祐はずっと苦しんでた 死にたい・生きたい・生きなければいけない 「うちの人生、そんなに悪くないと思う」「うちは恵まれてると思う」って言ってた祐 「焦らないでいこう、コツコツといけば、いつか必ず行きたい場所に行けるよ」って言ってた私 祐も、そうだよね、明日幸せになれなくても、10年後笑えてればいいよね、10年後仕事できるようになってればいいよね言ってた だけど彼女が欲しい、彼女が欲しいって、彼女さえできれば幸せになれるのにって言ってた でも実際には彼女ができても幸せになれなかった 愛せない、人が自分を愛してるということを信じられない 彼女ができても幸せになれない、心理学を学んでも、認知行動療法をしても、就労訓練をしても働くことができない、もちろん心を開ける友達もいない 生きてるのしんどいな このまま生きていても幸せなんかこないんじゃないかな 幸せがきたとしても、またすぐ不幸が襲ってくるんだろうなって 絶望して 死んでいったのかもしれないな 人を憎んでるうちは死なずにいれる だけど自分に幻滅してしまったら、生きていけなくなるかもしれない 祐は自分は何もできない、自分で買ったペットのことすら気まぐれにしか可愛がれない、自分がいなければ周りはもっと幸せだっただろう、そんな気持ちを抱えながら生きてるのがしんどいなって書き残して、そしてごめんなさいと書いて、死んでしまった 祐はずっと死にたがってた それを私が止めてた、父が止めてた、病院が止めてた ようやくそういうしがらみから解放されて願いを叶えた祐に対して 悲しいとか、寂しいとか、可哀想とか思うのは失礼な気がするって 私は言った だけどそれは自責から逃れたい気持ちが言わせた言葉だったと今になって思う 悲しいも寂しいも可哀想も違う 申し訳ない、私が死なせてしまったと、 それなのに私は生きていくしかないと、 自分が潰れそうと思うくらいに、思う ピースはたくさんの好きなものを持ったまま死んでいった 今頃、痛みから解放されたピースは、好きな人のことを思い出して、楽しかったことを思い出して、また会いたいなぁ、また行きたいなぁって思ってるかもしれない だけど祐は 世界に絶望して死んでいった 生きたいと思える理由になるほど好きな物事もなく、その人がいるから生きていたいと思える人もいなく、過去は辛く、未来にも希望がなく、何にも救いを見出せないまま死んでいってしまった そのことを想うと 私の中の祐は笑ってくれない 祐が今、現世というしがらみから逃れて笑っていると思えないし 次に私と会ったとき、会いたかったとは言ってもらえないという疑念があるから 祐の体がもうこの世にはないことが つらくてつらくて堪らない 満足のいく死なんて有り得ない だけど、生まれてきたこと・生きていたことに意味はあったんだろうかとしか思えない死は 生きていながら背負っていくには重すぎるものだなと、 私だけではなく、父や妹や、何も知らない友達も、 ずっと苦しんでいかなきゃいけないんだなと、 暗い気持ちに支配されてしまう 死と生 生きたいけど死んでしまったもの 死にたくて死んでいったもの 死なずに生を与えられたもの それらを分けるもの、肉体、精神力 死をもって、生を考える 生きているものと死んだもの その隔たりにあるもの そこには何があるんだろう 後悔、寂しみ、救い、空虚 それでも、人が本当に死ぬのは人に忘れられたときという言葉の意味を 深く知る、ピースの死 私はこれからも、ひざに乗る小さな命を愛して、ずっと生きていかなくちゃ そして祐のことも守れるくらい強くなってから、祐に会いに行こう …死後の世界があるとは思ってないんだけどね。 2018年10月22日 02:00
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