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ユーザー名(ID) 難読 (32801)
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難読
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性別 男性
生年月日 25歳
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趣味 ビリヤード、ダーツ、小説執筆
自己紹介 プロフィールの閲覧ありがとうございます。
出来れば最後までお読みください。

私は境界性人格障害です。アダルトチルドレンも近いかもしれません。
簡単に言えば「見放され恐怖症」とでも言いましょうか。非常に孤独です。

親密になった相手以外には心を許さず、嫌われる事や攻撃される事を極端に恐れ、常に味方を探して彷徨っています。ですから友人はいても親友はおりません。

家族にも裏切られた経験から、仮面優等生状態です。
家にいることは安らぎではありません。

唯一心を許した親密な相手…恋人には、より強い離れて欲しくない気持ち故、束縛や独占欲が強くなります。その結果うまくいかないこともしばしばです。

ただ、根本的に嫌われるのが怖いため、自分からそのような行動はしません。DVやストーカーは論外、LINEに既読がついたら仕事を放り出して返事を待ったり、ちょっとした約束には執着したり、と言う感じです。

はじめから依存相手を求めるようなやりとりはお断りしております。
が、バランスが取れる相手であれば老若男女問わず連絡を取り合っていきたいなと思っております。

もちろん、お話し相手は随時募集です。
たった一人の人とじっくりお話ししたい気持ちですが、サイトの特性上距離が縮まるまでは複数の方とやりとりすること、予めご了承下さい。

つぶやきなどを見てメッセージ頂けるのも、とても嬉しいです。

最後に、私はこういう「性格」ですから、「嫌うこと」はしたくありません。出来るだけどんな人も肯定したい。けれど、その上で私の意見を言わせてもらいます。したがって「対話」することを非常に重視して、生きています。

お互いに匿名だからこそ言えること、現実では怖くて出来ない指摘や、その人の行いを正し、真正面から「叱る」ことをしたいのです。それらが皆さんにとって「良いもの」になることや、「救い」になれば、それも私にとって喜ばしいことです。もちろんそれは逆も同じ。

プロフィールに少しでも共感された方、このサイトで遠慮することはございません。一言でも構いませんので、メッセージお待ちしております。よろしくお願いします。
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つぶやきの投稿履歴

やっぱり控えめに言って嫌いな奴は死んで欲しい。葬儀で涙の一つくらい流してやるから、生前のささやかな偉業を讃えてあげるから、悲劇的に死んで欲しい。 2017年07月17日 23:45
すごく嫌いな人間がいる。ネットだけのつながり。誰かに共感して欲しい。誰かに「一緒に嫌いになって」欲しい。自分が正しいと証明したいから?なんでその人間を嫌うの?その人間は、無知なふりをして他者から施しを受ける。常に被害者で有ろうとする。献身的に振る舞い人望を得ながら、自分が気にくわないと「手下」をけしかけて淘汰しようとする。自分の手は汚さない、ぶりっ子だ。まんまと裏切られた私は泣き寝入り?? 2017年07月17日 23:29
素直に生きるためには、何をすればいいんだろう。 2017年06月26日 06:29
何を言っても攻撃される。相手の弱味、言葉の矛盾。お前はそんな揚げ足取りしか出来ないのかと、まるでこちらが悪者だ。ならお前はどうしたい?正義を気取ったふりで自分を正当化して、私利私欲に塗れた人生はさぞ楽しいか?プロパガンダの成果で得た頭数を使って、邪魔な俺を消そうとしている。……そう思い込んでいる、とも考えてしまう。本当に悪いのは、自分なのではないかと。もう分からない、認めてくれる絶対的な何かが。 2017年06月26日 00:15
両立に疲れた。このサイトですらそうだ。自分と繋がった人が音信不通になり、再募集をかけているのをよく目にする。自分だって同じ事をしている。どうして自分から彷徨い続けるんだ。何かに落ち着かないんだ。それでも自分だけ死ぬのは嫌だから、やっぱり世界は滅びればいい。 2017年06月20日 18:39
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ブログの投稿履歴

こんばんは。難読と申します。 ブログの投稿は二回目となります。 前回結構な数のメッセージを頂き、僭越ながら素直に嬉しく思っております。 @メンタルヘルスでは気取らない自分を心がけていますので、今一度申し上げたい。 やはり私は、褒められるのが好きです。そのために何かをすることも多々有ります。 さて、今回のテーマはタイトルの通り。 疑問系で、皆さんに問いかけるような形にしました。 私は、人生において「対話」が最も重要だと考えております。 「技術」「経験」「歴史」「遺伝」「活動」「意識」「感情」「理性」 様々なファクターが存在するこの世界で、生きる上では何が必要か、人によって異なります。 けれど私は四半世紀生きて実感したのです。 したがって私がこの後に述べることを通して、何か得たものがあれば、どんな些細なことでも構いません。メッセージを頂きたいのです。 ◎生きるということ、「生きたい」という大前提 我々は往々にして「不安」を抱きますよね。 それは例えば「誰かと違う、自分は異端だ」と感じた時や、その反対に「誰とも違わない平凡な自分だ」と感じた時。 その不安の裏側には、大抵「自分」と「他人」が関係しているのです。 さて、細かいところを語る前に広義的な共感を得たいので語らせていただきますと。 結局のところ私たちは、自分の価値を自分で決めている。これは間違いありません。 他人に値段をつけられることは、確かに多くあります。けれどそれは、その人たちの価値観によって大きく異なる。絶対的なものではありません。 100万人がおかしいと言っても、1人認めてくれる人がいればいい。誰かがそんなことを言いました。けれどまさに、そういうことなのだと思います。 我々はある種自分に都合よく解釈をして、現実に起こっていることを捻じ曲げて受け取ったりします。それは一体何故か。 生きるためです。 皆、生きる意味を失い、絶望し、苦痛から逃れたいと必死にも関わらず、死にたくないともがくのは、「生きたい」という意思が刻み込まれているからです。 だからこそ皆が皆、高尚に語る「善」だとか「正義」だとかというものに明快な回答はなく、その時々や立場によって簡単にひっくり返ってしまう。そのように見てしまえば、感情や価値観なんてものは、自分の「生」に対してどれだけ浅はかなものかがわかるでしょうか。 ……人生の先輩にこんなことを言われたことがあります。 「命を賭けて世界を守るヒーローは確かにカッコイイが、我々の大半はヒーローにはなれない。そしてヒーローになれない人間が、命を賭けるだけの仕事は存在しない。」 確かに、その通りだなと思ったのと同時に、苦虫を噛み潰した感覚に襲われました。 命あってこその、人生。小学生でもわかります。 死んでしまえば……様々な宗教はあれど、死後に「現実」で生きることは不可能です。 そして同時に、世界の選ばれた人間は命を賭けるほどの仕事にありついている。でもそれはある種の、詭弁だとその方は言います。「結局のところその人間も、偉大な仕事をしている背景に成功した過去があるからヒーローなのであって。一回目から死んでいれば、ちょっとの同情で人々の記憶からはなくなってしまうのだ。」と。 我々は死んではなりません。それは宗教的な話ではありません。 死んでしまっては、考えることができません。迷うことができません。 大前提を失ってしまえば、すべてが無意味になってしまいます。 もしこの文章を、死にたいなと思っている方が読んでいるとしたら。 別に、「死ぬな」と私が訴える義理はありません。 けれど今まで、この文字を網膜に捉えるこの一瞬まで生きてきたのなら。 もう少しだけ読み進めてほしいな、という願いがあります。 ◎ さて、改めて何故「対話」なのか。 私がこのようにブログを書くのは、何故だと想いますか? 私が有名なブロガーだったり芸能人ならば、きっとこの文章一つとっても商売になるのでしょう。 けれど実際のところは、無名であり匿名であり、こんな僻地に書き込んでいる情報はまさにチラシの裏のメモ書きと大差ありません。ただ、私は自分の文章をそこまで卑下したいとは思いません。 私が文章を書く理由は、そこに「存在意義」を見出したいからです。 私は今、生きているぞと確信したいからに他なりません。 私も往々にして、このサイトに行き着くくらいですから、心を病むことが多くありました。 ただ人生を見るとまだ四半世紀、大学を卒業して数年社会人として働き、まだ社会のいろはもわからぬペーペーであります。 それでもわかることがある。 小学生とて、生まれたての赤ん坊とて、感じることはあります。そこに根拠がなくても、絶対的な自信を伴う個人の考えというものが。 冒頭に申し上げた、共感のお話。 やはり私は、一人になるのが非常に怖いと思っています。 「自分はこの世に不必要なのではないか」 「こんなに劣っているのはどうしてだ、もっとがんばれないのか」 「結局自分は何者にもなれないまま死んでいくのだろうか」 理屈では語れない「恐怖」そのものです。 それは私の中では大抵、誰かと比較する、この人生を集合と見た時の、自分の位置付けを非常にきにします。 これは私の境遇が、ランク付けされ、その結果淘汰、蹂躙された結果だとは思います。 それでも皆さんにも、大小あれどこんな感覚があると思っています。 マジョリティ。自分だけが、劣っている。自分だけの、考え。 その反対も、あります。 自分は多数の中に紛れている。 「お前の代わりなんていくらでもいるんだよ」 この言葉です。アイデンティティーの喪失。 人間とは不思議な生き物なのです。 その生き方に理由を求めて、価値を求めて。 その向上心がどこかで収まる人間もいれば、延々と続くものもいる。 これは、一種のコストパフォーマンスですね。 皆怖いのは嫌だ、誰かに好かれたい、一人でいたくない、自分だけの何かがほしいと訴える。 けれどそれに見合う、労力だとか。 怒られる、怒鳴られる、叩かれる、疲れる。 満たされない、削られていく、折れていく、溶けていく。 だから逃げる、見ないふりをする、何もしない、消えてしまいたい。 無気力。エネルギーは常に、安定の方向へ。 0へ0へと、溶け出していきます。0であればそれは、何も起こらない。 多くの恐怖や、苦悩の裏で必死に生きる皆さん。 ……皆さん、人生において。 生きる上でのエネルギーの補給の仕方を、工夫されているわけです。 趣味を見つけるも、パートナーと切磋琢磨するも、仕事に打ち込むも、美味しいものを食べるも。どれもこれも、「不安」や「恐怖」を埋めるための、エネルギー補給です。 私にとってのエネルギー補給の一つが、文章執筆であり、対話なのです。 ここまで書かせていただいたことに、直接繋がってくる。 「自分は、こうなんだ」と。 「自分のこの考えは、全体と比べた時にこういうことなんだ」と。 だから私は、落書きだと言われようと、無為な文章を書き続けるのです。 ◎結局は自分さえよければいい ※一旦投稿します 2017年06月11日 21:56
こんばんは、難読です。 ちょこちょこ投稿しているのですがブログは初めてです。 もし名前見たことがあるという方がいれば嬉しいのですが。 掲示板やつぶやき、また個人のメッセージでこのサイトでやりたい大抵のことは解決するのですが。 その中でちょっとだけ、言いたいなと思ったことがあります。けれどこれは自分のパーソナルスペースがあるとしたら、その端っこに置いておく意見だと思ってください。 該当する人がいたとしても、その人に向かって剛速球を投げることは、やはり暴力です。 見たくない、聞きたくないという方がいればそれは個人の自由であり、意見を尊重すべきだと考えていますので、もし気になる方、タイトルに惹かれた方で続きを読みたい、という方だけ読んで頂けると嬉しいです。 さて、「依存」とはなんでしょうか。 人は一人では生きていけません。 それは、各々の境遇、環境、遺伝によって思うことが違う中で、共通である「生存本能」に起因するものだと考えています。 皆さん、死にたいと思っても死にません。 これは我々がこの世に産み落とされたことと一緒に、ついてきたものです。 「生きる」という本能は、自分を構築する人体の設計図であるDNAに刻み込まれているのです。 ですからこれをどうにかすることは出来ません。 それでも死んでしまう人はいろんなものが積み重なって、一時的にリミッターを超えてしまっただけ。 本能に忠実であれば、自殺することは絶対にありません。それは、動物を見れば明らかですよね。 さて、ならば今一度、「依存」とは。 生存本能の、もう一段階上に「承認欲求」というものがあります。 我々人間は脳が発達したおかげで物事を理論的に考えることができます。 その一つに、自分たちの存在している意義を問いかけることがあります。 恐怖や不安、潜在的な嫌悪感など。 我々人間以外にも持っている「動物的感情」というものは、やはり刻み込まれていることですから、なかなか取り外す戸言うわけにいきません。 私たち人間は成長の過程で、他者とのコミニュケーションを重要にしてきました。群れで生きる動物、これ自体は少なくありません。 けれど人間たちはその高尚な知能ゆえに、生きることに「価値」を求め始めました。 それはひとえに、なぜ?と疑問に思うことです。我々は考えることができる故、考えてもわからないことに嫌悪感を覚えます。 我々はなぜ生きているのか、本当に生きていていいのだろうか、と。 皆さんはきっと、もっと潜在的な部分から「承認欲求」を理解しているかと思います。 けれど元を辿ってみると我々が「愛されたい」と思うこと、「認められたい」と思うことは、動物的な感情の延長線上にあることが、お判りいただけるかと思います。 つまり、我々は「いきていてもいいんだ」と理論的に納得する必要があるために、「承認欲求」というものを持っています。ある種、考えられる種族だからこその、生きるための前提条件でしょう。 従ってこの「承認欲求」を満たせなくなると、人は不安定になります。 自分はいきていてはいけないのだと、秩序を乱した感覚に襲われます。 さて、ここからはまた感情的な話に戻りましょう。 皆さんは「共依存」という言葉をご存知かと思います。 お互いに必要としあう関係。これだけで表すと非常に綺麗な言葉ではありますが。 その実態は、まるでユートピアのように、限りなく理想上の話である、ということです。 おそらく「依存したいなぁ」という方の半分程度は、辛い時の「死にたい、消えたい」に近いものと、推測しております。 私も生きている中で、まるで砂漠で喉が渇いたかのように寂しさに飢える瞬間がありますから、とてもわかるのですが。 ならばその「飢え」はどのようにして収まるのでしょうか。 大抵の「依存」は、認めてくれる相手を探すという文言につきます。 ならばその根っこの部分はどのようになっているでしょうか。 例えばAさんは、いじめの経験から否定されることや攻撃されることが怖く、優しく包容力のある人に愛されたいと。 そしてBさんは浮気性な相手から度々裏切られ、もう誰かが離れていくことは辛くしんどいから、長く続く関係、依存性の強い相手がいいと。 この二人ならば一見、うまくいくような気がします。けれど「共依存」とはそんな簡単なものではありません。 恋愛関係はひとえに語ることが出来ません。それは様々な愛の形があるからです。 けれども依存する、ということは相手の愛を受けることが大前提です。 例えば先の例でいけば、二人はきっとお互いを認め合ってから定期的に連絡を取り合います。これも一つの認め合う手段です。そうしてある日、Aさんが仕事で忙しくなった場合にBさんはちょうど不安定になり、Aさんに返事を求めます。けれどいつもならすぐに帰ってくる返事が、1時間、2時間帰ってこない。3時間経ってようやく帰ってきて、とても不安だったのだと文句を言います。Aさんは申し訳なさでいっぱい、けれど仕事だったから仕方ないと少しだけ弁解をします。 この二人がこの瞬間に、折り合いがつけば長く続いていくでしょう。 けれど二人には、二人の人生があります。「お互いを認め合うだけが人生ではない」ですから、 仕事もしなければですし、ご飯も食べなければならない。その違う人生を歩んでいる二人が、同じタイミングで同じ気持ちになることなど、ありえないわけです。 ですからもしこんかいの出来事ではなんとかなったけれど。また次にAさんが同様の仕事をするとなって、同じことがBさんに起きたら、Bさんは苦しくて苦しくて仕方ありません。Aさんを攻めるかもしれませんし、迷惑をかけるくらいならと自殺をしようとするかもしれません。 それを見てAさんは申し訳ないとなんとか構おうとします。でもそれは、仕事が終えてからでないと出来ません。仕事を放ってBさんに構えば、それは今度仕事で怒られることは当然です。 仕事中、会議中に連絡がきてないかAさんはチラチラと携帯を確認します。けれど全くきていなくてホッとしたのもつかの間、意識が散漫になっていると上司に怒られ能率は下がり、疲労困憊で家に帰ると何もなかったかのようにBさんが眠っている。これでは心が休まりません。 こうした矛盾が、どんどん広がっていく。お互いがお互いのことを許容しあうことが人間関係の鉄則であるはずなのに、「一心同体であることが当たり前」だと思うことが、共依存の問題だと私は考えます。 もちろん、共依存という括りの中でうまくいくカップルや友人関係も沢山あるでしょう。でもそれはお互いに譲歩しています。お互いに必要な時に必要な分の何かを得たいがために、決め事をしているはずです。 例えば仕事中の発作の時は、もらった直筆の手紙を読んで気を紛らわすだとか。帰ってきてからその時の不安を告白して、慰めてもらうだとか。できる限りお互いに、仕事の休憩中などにマメに連絡はとるけれど、絶対に無理しないことや、仕事に支障をきたさない程度にすると、約束をするだとか。 そうしてそれらを守った二人だけが、その関係を続けられるのです。 長々と語ってまいりましたが、ご理解いただけましたでしょうか。 最後に、物申したいこと、でございます。 「共依存」という言葉の名の下に、寂しさを紛らわせようと相手を探し、見つけることは簡単です。それを「逃げ」だとか、否定するつもりは毛頭ありません。けれど。 それでも単に、はじめから自分の全てを肯定してもらい、生きていくための手伝いをしてもらう、などと考えている人は、今一度考えてください。確かにあなたはそうしてもらいたい、そうしてもらわないと、生きていけないのかもしれません。 でも、それは相手にとってどれだけの負担でしょうか。相手が何かをしてあげたい人だとしても、限度があります。常に連絡をとってあげよう、となれば仕事なんて出来ません。求める側のあなたが、代わりに仕事ができますでしょうか。仕事ができないなら、家事ができていますでしょうか。なんでも構いません、求めるならば与えることが必要なのです。それに大小は関係ありません。 お互いに、人間です。はじめはどんな強く、魅力的な言葉を交わし合ったとしても、小さな小さなほころびから、気がつけば大きな溝になってしまい、修復不可能になることは往々にしておきます。 寂しさに苦しんでいる方。私も、同じです。私も一時期は、そのようにして認め合う仲を見つけようとしましたし、そういう交際をしてまいりました。 けれどどこかでお互い折り合いがつかずに、破局してしまうんです。もとより求め合おうとすると、うまくいかない。いっそのこと、単に体だけの付き合いならば長続きもするでしょう。けれど人間は欲張りな生き物ですから、どこかでその先を求めてしまう。その欲が、相手の範疇を、許容範囲を超えていると、二人は別々に生きていくほかありません。 これだけは忘れないでいただきたい。自分だけを攻めるのは、やめましょう。 自分にもできることがあると思いながら、生きていくことが大切です。 私が見ている限り、うまくいっている「共依存」の関係は、お互いにそれなりの自信が備わっています。私はここだけは担当するから、あとはお願い。そんな関係が気がつけば支え合いになっているのだと、私は思います。 何かをされるだけの人間なんて、いません。皆さん、素敵な何かをもっているけれど、見えていないだけだったり、何かに覆い隠されているだけなんだと思います。 こんな文章を通して誰かを気がつかせることができれば、それはまた私の一つの救いになるわけですが。例えば絶対にこの文章に、100件の感想を寄せろ、なんてことは傲慢だと思われますよね。要するに、そういうことなのです。 長々と書いてまいりました。最後までお読みいただいた方、本当にありがとうございます。 興味のある方は是非、メッセージいただければ細かい話もできるかと存じます。 プロフにもあります通り、私は誰も傷つけたくありません。 その観点で、カウンセラーにもできないような自己分析で、人生をよりよくしていくことが私の目標です。 それでは。 2017年06月04日 02:07
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Re:躁鬱。限界。けれど一人語り。 2018年03月25日 17:39
Re:躁鬱。限界。けれど一人語り。 2018年03月24日 13:56
躁鬱。限界。けれど一人語り。 2018年03月24日 12:13
Re:73点でしたね。 2017年07月20日 19:43
一人から脱却する方法は? 2017年07月13日 18:19
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20代です。男女共に歓迎です。 2017年06月03日 22:55
カカオでトーク(詳細はプロフも) 2017年04月09日 19:52
交換日記・リレー小説 2017年04月01日 09:49
孤独・話し相手・AC 2017年03月27日 01:28
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戦争・紛争・宗教論・歴史学 2017年04月22日 01:54
Re:孤独感が消えてくれない 2017年04月10日 20:37
Re:数学、物理系の人 2017年04月09日 00:03
Re:数学、物理系の人 2017年04月08日 10:12
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