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男性 グザイ 日本以外 PC 2019年06月30日(日) 15:31 編集済み
投稿ID:9335
サイエンスに魅了された人々
スレ立てます。

「サイエンスに魅了された人々」

どんな絵空物語よりもどんな超常現象よりも、勿論、どんな人間世界の騙し騙され翻弄される浮世絵話よりも、厳然と存在する自然界の不思議さに魅了された人々のために、このようなスレ立てをしました。

私利私欲捨て真摯に自然界に向合うため、更に同じ過ちで若き人々が惑わぬため、それに一石を投じることができたならという思いで、っていうスレです。

といっても、なんでも有りです。
ガッツリ理系でも良いし、こんな不思議なの見つけて感動したよ!でもなんでも。

※スレ主ですが、なにもコメントもしないし、放任しますし、自由です。
 他を尊重し且つ自らも自由に発言できる。これがこのスレの基本です。
 是非を決定するのは人ではなく、客観的実験結果のみです。
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男性 グザイ 日本以外 PC 2019年06月30日(日) 16:09
投稿ID:9336
数学は完全か?

なんにしろ、理論と呼ばれるものは完全でなくてはならず、その理論中で使われる数式は、数学的にも証明されていなければならない。

ここでの話は、数学の証明とは本当に完全なのだろうか、という話である。

証明するには、紙に書くにしても話して説得させるにしても、言葉、というのが必要だ。

新しくなにか理論を構築したとしよう。それを伝えるには言葉が必要だ。問題の本質を失わずに簡略化するために、言語は英語だとしよう。

英語はアルファベット26文字から形成される。
或る概念を単語で示したとき、その単語が示す概念は他の既知の単語で表現される。英英辞典と同じだ。わからない英単語は、別の既知の英単語を用いて詳述されている。

限界を考える。
アルファベットは26文字である。仮定をしよう。一番長い単語は一続きのアルファベットで100文字以下だとする(もちろん、そんな英単語は英英辞書を調べればわかるが存在しない。ここでは、仮に在るとして最大を考える)。

すると、26の100乗回以下の定義の後には、同じ単語が現れることになる。
これは、堂々巡りであって、定義できない。

これでは、完全、とは言えない。

ユークリッド幾何を中学から学んだ時には、「直線」や「平面」などは、直感的に理解できるとして、何の定義もなかった。

このように、言語が有限であるから定義できないものから出発するのが常であった。

つまり、不完全である。

数学とは、論理を超えた何かから始まっているはずである。
なぜなら論理から始まっているのならば、すべては解明され尽くしているのであるから。

それは、いまは誰にもわからない。
男性 グザイ 日本以外 PC 2019年07月07日(日) 06:17 編集済み
投稿ID:9373
寝不足な日曜日の朝の物思い。
-思いついたまま書いただけ。推敲などしていません-

五感というものがある。
人間に備わっている感覚だ。
人は幼少の頃は五感を通じて外界を知る。
そして、世の中とはこういうものなのか、と学習し育っていく。
それは、中学、高校と進んでも変わらない。
言葉を学び文字を学び、本を開き字を読んで、いろいろなことを知っていく。

いかにも本当らしいが、本当に本当なのだろうか。

例えばコウモリ。
人の聴覚には聴こえない振動数の高い超音波を聞くことができ、暗闇を互いにぶつからずに飛び、獲物を捕獲する。
例えば犬。
人の嗅覚を遥かに凌ぐ能力を備え、嗅覚だけで獲物を追跡していくことが可能だ。
例えば鷹。
人の視力など比較にならないほどの高機能な視力を持ち、高い空から地上にいるネズミを見つけ捕食する。

こう考えてみると、人が「現実」と認識しているものは、実際に存在している「現実」のごく一部に過ぎない。

認識だけに留まらない。
そのごく一部の「現実」から、人は抽象化という作業を脳内で無意識に行う。
分類してグループに分け共通の特徴を考え言葉でシンボル化する。
抽象化である。
たくさんのシンボルを作成し、それに基いて考える。
この時点で、既に「現実」から離れている。
やっていることは単に脳内作業だ。

人の現実とは、世に存在している現実とは違う。
脳内でシンボル化した世界が、人にとっての現実となる。
たいていは、それで困らない。
世の中がそう動いているから。

お金などはいい例だ。
あれは、ただの金属とただの紙切れ。
それに価値を与え、経済をお金で回している。

数学もその類である。
幼児がはじめて数を覚えるとき、数を現実の物の個数と対応させながら覚えるが、実は数と現実の物の個数には、なんの関係もない。
数というシンボルと物の対応付けを人が勝手にしているだけだ。

数学は抽象の最たるものだ。
整数を構成するのに、現実社会の物は不要だ。
公理を与え理論構築されたものが数の概念。

このように高度に抽象化された数学は、なぜか研究対象が自然である物理に使われる。
なぜ自然を表現するのに、自然とは全く関係のない脳内で抽象化された数学が有用なのか、わからない。

ここから全く憶測だが、抽象化された数学でしか表現できない自然のごく一部しか、人間は知ることができないのかもしれない。

この問いは、いつか解かれるのだろうか。
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