
更新したい気持ちと取り組めない現状
どうもダラリ―マンです。
一回崩れたせいか、そもそもの体調のせいか
ガッツリ有言実行できてない状況に、自分が情けなく、本当にそういうところが改めて嫌いなんだという気持ちがこみ上げて止まりません。
言った以上はやりたい。やれないなら言わない。
でも結局、やれないことが大半。
本当に嫌になる。
慎重に、しっかり見定めたい。でも、せかされたり、代償や恐怖と隣り合わせの状況で回答を求められると、「その場を切り抜ける為の言葉」が勝手に口から出てくる。
こう言っておけば、これ以上相手は怒らない。
だから、いつも、うわべだけとか、何も考えてないとか言われる。
考えたら黙り込んでしまう私。
文句を言われ、黙り込んでいる私に「子供じゃないんだから」「黙ってても解決しない」「逃げようとしている」「話すことがないならどっかいって」と責め続けられると、考える前に答えを出さなければいけない。
待って、も、考えてる、も通用しない。
どんどん評価の下がる私。
最近では、ただ道を歩いてるだけで涙が出たり、上手く笑うことも出来なくなっていたりしているようです。
趣味を見つけるような時間もなければ、実行する余裕もない。
記憶の中にある小学生のころに思い描いていた余裕のある大人像はどこに行ってしまったんだろう。
ブログも、こうした愚痴とか悲観した考えとかではなく、見つけたり、遭遇した面白いことを書きたかった。
でも、できないみたい。
だって私は、面白くない人間だから。
発言もつまらない。行動もつまらない。視界に入るだけで鼻につく存在。
否定否定否定否定否定否定。全部否定。
全部肯定しろとは言わないけど、全部否定されるのはつらい部分があった。
でも、慣れてしまった。
たまに、悲しい?とか思うけど、特に痛くない。
むしろ、自分から自分を否定している。
こんなブログを書いているのも、私が悪いから。体調がすぐれないのも私が悪いから。体のどこかに痛みがあっても、私が悪いから。
全部私が悪いんだ。
こんなブログを読ませてしまってごめんなさい。
謝るなら書くな!という意見。
ごもっともです。
消えてしまいたい。
この世から。
私が存在した証という証をすべて
私と関わった方々の記憶の中から
私という存在も含めて
全部なかったことに
そうすれば迷惑も掛からない
誰も悲しまない
私は悲しいかもしれない
でも、悪いのは私だから
そのくらいの罰は受けないとね