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鬱病(うつ病)

男性 易読 28歳 PC 2020年10月12日(月) 17:34
投稿ID:82017
うつ状態で働き続けることに限界はあるか
例によって投稿失礼いたします。
いつにも増して躁鬱が酷いものの、おそらくコメント頂いたらご返信できる程度にはマシかと思います。

適応障害を患って1年近く経ちます。
私自身、これを患った瞬間というか、未だにそれが単なる記号でしかないと信じているわけです。
メンタルヘルス系の病状は、例えばピアノの鍵盤が一つ隣に移動するみたいに、ここから明確に適応障害だよ、という診断があるよりも。グラデーション掛かった状態の変化を見て、バイオリンの音色を聴いてなんとなくそこから先は適応障害……なんて、こんな診断基準だと勝手に思っているのですが。

そんな小難しいことを考えずとも、今まで通りに生活できなくなっているな、という実感が湧いた時、それを認めざるを得ません。

今私は寛解したという診断です。確かに日々仕事も出来ていますが、休みの日、何もしたくない日というのが数週間という周期で訪れます。なんとかごまかそうとしますが、うまい具合にコントロール出来ません。

特にこれが一人の時に起きます。今日も仕事でしたが、外回りでほとんどサボっていました。自己嫌悪の波です。他人に迷惑を掛けないように、最低限やることはこなすのです。けれど、それ以上のことが出来ません。やった方がよいこと、沢山あるのです。自己研鑽、明日以降の準備、なんなら家のこと、家事、家計管理。

何もやることがないと鬱になってしまうので、旅行を計画しています。
他人の旅行まで計画しているので、今5、6個旅行の旅程から、いわゆるGOTOの申請、チケットの確保など全部行います。

それ自体は苦ではないのです。むしろそういうのがないとダメだと縋っています。

仕事はそれ自体、やってもリターンが少ない。というより、ダイレクトに返ってこないですよね。やることが当たり前だから。やってくれてありがとうはないし、それでお金をもらっているのだから当然です。けれど、どうしても出来ない。出来ないことで自分自身の自己評価が下がる。ダメな奴だな、もうダメだなと匙を投げて、先までこちらに文字を打つことすらままならない状態でしたが。

自分は、まだ鬱ではないのかなぁとも思いますし、いやいやもうそれは十分な鬱だよ、という方もいらっしゃるだろうと思う中で、むしろどっちでもいい、どっちにせよ支障が出てるのだから、何かしなければ不味いんじゃないかと思っています。

それでも、これまで受けてきた治療は、何も役に立ちませんでした。
薬を飲んでも変わらないというか、その瞬間だけ躁に変わるだけ。より深く落ちます。あとはとにかく眠くなる。寝れば確かに落ち着きます。でも、だから薬は嫌です。

カウンセリングも、結局自分がこうやって自己分析している以上には、何も見つけ出してはくれません。単に自分で言葉を紡いで、こうして吐き出していることの方がよほど脳内整理できます。きっと個人差もあるのでしょう。先生にもよるのでしょう。けれど、そんな悠長なことをしたくないのです。私には頼る当てもなく、働けなくなったらそこでジエンドだからです。

そう、働けなくなったら私は死ぬと思います。
一度働けなくなった時に、いろんな保障に守ってもらって、この国はすごいなぁと思いながらも、より自分の矮小さを実感させられました。

私はこんな性格なので、本当はもっともっとすごいこともしたいし、それが生きがいで、原動力なのですが、お前は身の丈にあったことさえしていればいいぞ、と。というか、分相応に生きるしかないんだぞと言われているような気がして、それじゃあもう自分自身として終わってるなぁと。かといってそれ以上わがままを言って生きられるわけもありません。他人よりも保障して欲しいだとか、コジキのように生きるのは憚られます。

なので私は、次に働けなくなったら死のうと。そうなればいずれ死ぬのだから、もう仕方ないだろうと。そんな感覚で今働いています。改善する兆しもありません。少し休みなよ。前に休んだせいで、もう休む余力なんてありません。精神的にも、何より金銭的にも。沢山の人が私に寄生して、その人たちが道連れになるのは構いませんが、私自身全てを投げ捨てても、半年くらいには飢え死にするでしょう。

私の根本は、何が間違っていて……というか、正誤の問題ではなくて、今生きている状態が、ベターなのか、常に問いかけています。私は私の心に自己暗示をかけて、大丈夫だよ、働けてるんだから、もう少しの辛抱だよ、って励ます一方で、一度ドロップアウトしてるから甘えてるんだろう、死ねばいいと思ってるんだろう、なんて声も聞こえてきます。

ごちゃごちゃ書きましたが、要はまともに仕事が出来ない自分に嫌気がさしています。
本当ならこんな状態で仕事をしたくない。またやめるべきだとも思いますが、それでは本当に職を失ってしまう。この葛藤です。その場凌ぎならともかく、今私が「就労不可」と判断されて、自分と自分の周りと、まともに生きていける未来は見えません。家族や周りの人が不幸になるのだろうと確信しているからこそ、自分が死ぬよりもよほど、「仕事が出来なくなること」が怖いのです。

何かコメント頂けると、きっと救われます。
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男性 genzou 37歳 PC 2020年10月13日(火) 00:22
投稿ID:82024
努力の方向の問題なんじゃ無いですかね。ぼくはほとんどといって良いほど仕事(雇われること)をしたことが無いんですが、別にそんなに気にしてないんですよ。適応障害とは違うかもしれませんが・・・。
でも、たとえば、「天気を当てること」とか「今年の冬は寒くなるかどうかを予言する」みたいな、先史時代にはとても重要だった能力が残っていて、あんがいそれらは、建設現場の仕事とかですごく役に立ちます。
しかし、書かれていることを全部見ると、「なにもそんなにシゴトしなくても良さそうな気」がしてきます。
で、だからといって寝ていればいいわけでは無くて、「治療をする」という「シゴト」をすべきなんじゃないですかね。一週間に一度、医者と話すネタを練って、これはどうであれはどうだ、薬Xは効き、薬Yは効かないってやるだけで、相当な「シゴト」量ですし、その努力は(非常にゆっくりではあるものの)いつか効いてきます。
そうやって得た能力の集積が、(たとえばぼくは高校の頃からイシャと週一でしゃべっているので)必ずしも仕事にとらわれない能力として現れるようなきがします。そういう能力って、最近僕は「自分が幸せになるため」に使って良いんだと思ってるんですけどね。
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男性 たつみ PC 2020年10月15日(木) 22:12
投稿ID:82050
こんばんは。
もっともっとすごいことがしたいと思うのですね。
けれど、そうじゃない現実がある。

働けなくなった時、社会の制度に守られたこと。
最低限の仕事をこなすだけになっていること。
メンタル系という曖昧な病気になっていること。
それらは「すごいことをしたいと思える」自分にとっては嫌悪すべきことなのですね。

仕事は生きがいにならず、他の人に認められるというリターンもない。
そして、自身を認めることのできるものが見つからない。
「治療もカウンセリングも自分には必要ない」との思いだけが、いまの易読さんの支えかのようです。

だからこそ、この文章なのかもしれませんね。
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男性 易読 28歳 PC 2020年10月19日(月) 17:53
投稿ID:82096
コメントありがとうございます。

コメントを読みながら、「いやいや、仕事をしないでどうやって生きていくんでしょう」と、半ばヤケになって、八つ当たりのような感情が一度込み上げてきたのですが、何度も読み返すとおっしゃる通りなのかなぁと。
要するに、そこまでする必要がないというか、適応障害でいて、ここまで分析している自分ができる範囲がこうだ、なんて言ってるのだから…結局やれることって、まずは病気を治すだとか、その「シゴト」の方向が違う、そうおっしゃっていただいたのかなと受け取りました。

私の中で、これまで培った知識、学歴の中のものや社会経験というのは、どうやっても社会貢献に活かさねば、自分がただ「生き延びる」だけに使っていては、「非国民だ」という思想が根付いています。
納税の義務も、労働の義務も、きっと果たせない。でもそれでも仕方ないのかなと、思うようになりました。それでも生きていける環境があって、助けてくれる人がいて、またいつか健康になったら動き出せばいいのかなと。ほとんど独り言のような返信ですが、とても心が軽くなりました。ありがとうございました。
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男性 易読 28歳 PC 2020年10月19日(月) 17:57
投稿ID:82097
コメントありがとうございます。

何度もなんども読んで、ようやく理解できました。それほど、また凝り固まっていたように思えます。

>「治療もカウンセリングも自分には必要ない」との思いだけが、いまの易読さんの支えかのよう

これが理解できなかったのです。でも、そうかと。それに縋って生きてるんだなと。結局まだ、苦しいんだな、治ってないんだな、というのを自覚しました。

よく鬱の人は自分は鬱じゃないよと、精神科や心療内科なんて行く必要ないよなんて言います。
私は最初、もうダメだと倒れた時にすぐに治療に向かいました。
そうして今回復に向かって……一度折れかけたプライドなのかなんなのかを取り戻そうと、必死なのかもしれません。まだ治療もカウンセリングも必要な自分なら、無価値なんじゃないか、と。

すごいことができない、と割り切るのではなくて。
すごいことをしたいけれど、今はまだ万全ではない。この先またゆっくりと目指していけばいいのかなと、少し余裕が生まれました。もちろん、まだまだ焦りはあります。自分の中で、誰かに凭れかかっていることが「悪」であると、今でも強く思っている節があるのです。

少しずつ、嫌悪する自分を薄めていきたいです。
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男性 たつみ PC 2020年10月20日(火) 21:44
投稿ID:82113
こんばんは。
返信ありがとう。
「治療もカウンセリングも自分には必要ない」との思いだけが、いまの易読さんの支えかのようです。
ここに引っ掛かったんですね。

ただ僕は「治ったかどうか」という視点でそんなふうに思ったわけではないのですよ。
治療もカウンセリングも必要な自分なら無価値と考えてしまうこと。
一度折れかけたプライドみたいなものを取り戻そうと必死なこと。
そこです。

易読さんの文章はなんだか鎧みたいです。
文章で武装してる、そんな感じがします。
入り込まれることを拒否してるというか。

この知性は自信に思っていいことのはず。
けれど、どうしてこんなに自信がないのかなって思うのです。
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男性 易読 28歳 PC 2020年10月21日(水) 14:14
投稿ID:82120
こちらこそいつもコメントありがとうございます。

仰る通りで、噛み砕いてみても私の矛盾はそこにあるようです。

理論武装するのは、そうやって生きてきたからという結果論とは別に、それが目に見えて効果や実績をもたらしてくれた、というのが大きいと思います。理論的に考えて、理詰めで物事を進めることで褒められるし、誰かに出し抜かれることも、損することもないと、結果理論武装が正義と思ってきました。

だからこそその鎧を剥がされることが、とてつもない恐怖です。
数年前はよくSNSなどで呟いていたことに突っかかられると、片っぱしから攻撃していました。理論の穴を埋めて、完全に論争で負けないと。ただそうすると反感を買うんですよね。相手は人数を集めて、数の暴力で報復しにきました。そうしてなんどもなんどもコミュニティから追放されたことがあります。

そういうわけで、結局その理論武装が間違っていないぞと、それに縋ることが一つの柱になっていたということ。また、それ以外に知性の使い道を思いつかなかった……とも言うんでしょうか。幼少の頃から、特別認められてこなかったこと。どちらかといえば勉強できることで淘汰されてきたため、それ自体に良いイメージがなかったのかもしれません。だから内側に入られることは脅威で、マウントを取るようにして、また自分自身にも納得させようと、常に文章の鎧を纏うのだと思います。

そして自己肯定感の低さは、自分でも何故なのだろうと思います。
本当に常に、自分の価値を探し歩いています。これを拭おうといろんなことを調べて、このサイトでもきっとなんども聞いていることかと思いますが、この恐怖が一生ついて回るのです。

知性というか、思考力に関して、また文章に起こしたりすることそのものに、自信はあるのですが、これをどう自己肯定に結びつけたらよいのか、全く分からないんです。
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男性 たつみ PC 2020年10月21日(水) 21:36
投稿ID:82122
こんばんは。
内側に入られることが脅威…そんなふうに思うのですね。
今回はちょっと無理やりこじ開けてしまったかもしれません。
けれど、ようやく易読さんの苦しさに触れたような気がしています。
きっと大丈夫です。
一緒に考えていきましょう。
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