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鬱病(うつ病)

男性 Levlavinia 25歳 Android 2018年07月24日(火) 13:04
投稿ID:69274
生死の選択
初めまして、此処数日ほど前から精神的に切迫しており「自殺」ないしは「死」について淡々と考えています。
僕の生い立ちについてはプロフィールに簡潔ではありますが記述してありますので、そちらを参照の上でお答え下さると幸いです。
そこで本題なのですが、僕は今「死にたい」と言う思いに偏執しています。
二十歳から今に至るまで様々な努力や挑戦でもって生きる事に何かしら向上心を与えようと齷齪生きてきました。
しかし何事も好意的な結果は残せず挫折と言う形で終わっています。
元より自己肯定感も希薄で自信や自尊心に欠け、一方で他者からの承認を受けた記憶が無いほどに自己の地盤が脆い人間です。

高校生~二十代前半までは容姿を磨き人並みに女性と交際をしたりして、自身の存在意義を依存的ではありますが騙し騙し確立させて生きてきたのですが、最早その気力も無ければ自身の社会的立場や能力、経済力などを踏まえ将来性を俯瞰した時に、昔の様にはもう生きられないと思い改めました。

また、僕は精神疾患を罹患してから哲学に傾倒し「生きること」の無意義さと言うものに打ちのめされても来ました。
以降、生や己の命に絶望し今になっていよいよ「どうやって生きていこう」と言った類の生きる為の模索に限界を感じています。
ただ悪戯に生きる事に対して意味や価値を付与すると言う行為が、自己欺瞞としてしか受け止められず、一方で上記の様な自身を俯瞰した際の絶望の板挟みで針の筵に座る思いです。

今年の5月には週4日の頻度で社会復帰を名目に、約一年ぶりにアルバイトではありますが仕事を始めたものの今がこんな状態の為に病むなく静養中ですが、もう今の僕には生きる理由は愚か労働に勤しむ理由すら無いも同然な状態です。
考えに考えても、まるで八方塞がりで本当に気が狂いそうで相談させて頂きました。
胸中、本当に一切合切が無意味でこれ以上ない絶望であるならば他言を憚り自殺してしまえばいいものを、なんて思うところですが一縷でも光明があればとお見苦しい投稿をごめんなさい。
作文能力が乏しいので支離滅裂、纏まりのない文章ですが何かご意見下さればと思います。
  • 0
男性 JB1 iPhone 2018年07月24日(火) 15:47
投稿ID:69282
生きることに対して、自ら計らうことを辞めてはどうだろうか?
八方塞がりは、自ら計らおうとすることによる限界でしかない。
尤も、自ら計らうことを推奨する社会など、復帰するには値しない。
自立は社会という言葉と矛盾する概念である。
  • 0
男性 ポロリ 35歳  /  大阪府 iPhone 2018年07月24日(火) 17:01
投稿ID:69289
素敵な意見が出ている中、恐れ入りますが…

人間だってただの生物ですよ。
生きる事の大部分は本能に拠るものだと思います。

生きる事に高尚な意義を持ちたいという考えは素晴らしいと思いますし、それが無いまま生きる事の無意味さを悲観するのもわからなくはないです。

少し質問をさせてください。
あなたにとっての死とはどういう物ですか?
死に何を望みますか?

そして、非現実的な内容でもいいとしても、生きていく上で意義となりそうな物は皆無でしょうか?
  • 0
男性 Levlavinia 25歳 Android 2018年07月24日(火) 17:10
投稿ID:69290
回答ありがとうございます。

最初の引用において、だから~、と仰られてますが断食との連関、意図が汲み取れません。(読解力無くてすみません)
無意義さへの戒めでしょうか?

確かに社会的立場は優位だろうとも劣位だろうとも「生きる」ことは可能ですが、昨今における貧困格差の実態を見ていると仮に今を生きながらえたとて、やがて経済苦と言う問題がのしかかり一層、心の重荷になるんではないかと言う事を懸念しての叙述でした。マルクスやピケティの資本論を読むと、否応なしに定職に就けず堕落した人生を歩む自分、資本家や国に搾取され奴隷の様に働かざるを得ない様な状態、イメージに危機感や絶望を感じてしまうんです。

はげたんさんから見れば高が5年だと感じられると思います。
僕より年長者であり、経験や知識も豊富だと思いますし、相応のものから醸造された思慮でのご意見だとも思います。
しかし、比較の上で僕のたった5年の苦悩がもしかしたら、はげたんさんにとっての何十年にも勝るものかもしれません。
そう言った地平での物事の見方もある事を頭の隅でいいので置いておいて欲しいと思いました。
傷付いたと言ったら大袈裟かもしれません、ですが小馬鹿にされた印象を受けましたので咎める様な言い分をご容赦下さい。

論点を戻しますが、此処に投稿する時点で少なからず生きたいと言う希望があるのは自負してますが、触れられる限りのものにこれまで触れてきたものの、やはり「生は無意義」と言う解、果ては呪縛でしょうか、そこに全て帰属、収束してしまうんです。
他者からも良く真面目だね、とは言われますが良く良く考えてみれば融通の利かない偏屈で理屈に囚われた面倒な人間なんですよね...。
ただ、自己を中心に据えず周囲に何かを与える行為、はげたんさんが仰る様にこのサイトで苦悩する方に助言をする、と言うのは何かを希望的なものを感じました。
現実世界では唯物的に世界が回る一方で、こう言った場では徹頭徹尾、唯心さに溢れていると感じます。
見返りは指して望みはしませんが、僕の拙い哲学や思想で誰かの荷を少しでも下ろすことにお手伝いできれば、それは献身的でいいなと思いました。

今一度はげたんさんのご意見を反芻して何か契機なるものを探求しようと思います。
改めて、貴重なご意見ありがとうございました。
  • 0
男性 Levlavinia 25歳 Android 2018年07月24日(火) 17:22
投稿ID:69291
回答ありがとうございます。
自ら計らうことを止める、ですか。
シンプルですがなんだか僕には難しい行いな気がします。
ほぼ一日中、恒常的に「生きる」と言う事に執着しては、あれこれ模索を図り便宜的に生きてるなあと思うことはありますが、言うは易しで事なかれ主義の様にある種、飄々と生きるって言うのは意識的に可能なんでしょうか…。
人間が安全や安心の為に徒党を組んで築いた社会と一方で、自立的に生きる即ち無援って事ですよね、社会的自立とは言えど語義の範疇においては矛盾がありますね。
"社会的"と言う条件下であれば誤りでは無いかもしれませんが、少し面白いですね。
  • 0
男性 Levlavinia 25歳 Android 2018年07月24日(火) 17:46
投稿ID:69292
回答ありがとうございます。
人間は生物である以上、何処かしら本能に依存して生きているのは承知してます。
けれど、こうまで理性や悟性が発達していては生きる事の大部分を「本能に依るもの」で片付けるには余りに強引に思えました。
極端に言えば、そんな人間だけの世界は道徳も倫理(人倫)、秩序何もかもが破綻してしまうんじゃないでしょうか。

僕にとって死とはただ、ただ「無」です。
精神も肉体も無いですから人智の及ぶ領域ではないですし、魂だとか輪廻、永劫回帰なるものも信じてないです。
死には何を望むでもなく与えられるがままの「何か」を享受出来ればいいです。

生きていく上で意義となりそうなものは、献身(愛)でしょうか。
レフ・トルストイや不条理哲学で有名なカミュもこれについては同様の思想を与されていて強い影響を受けました。
けれど僕個人の哲学においては結局それも「無意義さ」に呑まれてしまうもので、どうにかそれを人間は自己欺瞞で繋ぎ止める必要があるんだろうな、と言うのが僕の考えです。
しかし現代社会を取り巻く諸々や現代人の価値観としては愛は蔑ろにされ、お金やモノと言うものが優位にある印象があります。
女性 リトルミィ 京都府 PC 2018年07月24日(火) 17:49 編集済み
投稿ID:69293
レフラヴィニアさんは自分に厳しい方なんだろうなと思いました。
また同時に人にも厳しい方なのかもしれないですね。

学校にも仕事にも行かず、家で療養する期間を取られてたのだと思いますが、そんな風に頭の中で哲学から生きる意味や意義、自分とはみたいなことまで、ずっと考えすぎていて、きっと心や頭は休めていなくて、復職もまだ難しかったり、生きる気力も戻ってこなかったりするのかなと思いました。

私はそこまで地頭が悪いわけではないと思うんですが、勉強に関してはほぼ全くできません。
活字も読まなくて、漫画ばかりです。
哲学に興味を持ったこともあるけど、ヨースタイン・ゴルデルの本を数冊読んで「つまりはいつか何かが無から生まれたっていうことは、人間の及ばない力がどこかに必ずあって、それがある以上、生きることを論理的に説明することなんてできないんじゃないかしら」って自分の中で結論を出してしまいました。
マーフィーの法則を読んだことはないんですけど、多分人生についての考え方はそれに近いもので「生きるって、いつも予想の斜め上から何かが起こること」って思ったりしてます。
ちなみに、私は宇宙の外に神様がいて(信仰や宗教のための神様ではなく、人間の持たない力を持ってる存在という意味での神様)、宇宙は神様の戯れでできたと思ってるんですがレフラヴィニアさんはどう思いますか?

哲学は学べば学ぶほど面白くなってくる分野だけど、レフラヴィニアさんはほかの分野も勉強してみた方がいいと思います。
心理学なんかは病気に直結してるものだから面白いかもしれません。
宗教学は過去の人たちや、今生きてる人たちの心の弱さが見えて、それも面白いかも。
あとは生物学。人間だけが「生きる意味」を考えて生きてる。私は生物という大きなくくりではなく、自分が飼うための犬と猫についてだけいろいろ本を読み漁ったけど、犬猫は「嬉しい」と「嫌」だけで、とてもシンプルに生きてるなぁと思うと、人間が見習うべき点もたくさんあると思いました。
歴史も、その時代、その時代の正義があって、正義に人間が翻弄されてきたということを知るのも面白いです。今だって「ポジティブこそ正義」みたいな時代で、それによって苦しめられてる人もいるよなぁと思ったりしますし。
地理。国によって大きく考え方が違うことの背景。
文学・絵画などの文化もその時代が反映されていて面白い。
理数の、人の感情の入る余地のなさも素敵。

私は漫画が好きで、結構昔の30年以上前のから、最新のまで読んでます。
漫画ですら時代に左右されていて、その時その時の流行りを追ってみると、どんどん時代が変わっていった過程が見えて面白いです。

あと、本を読むことが好きなら、西洋文学だけに限らず、他のジャンルも読んでみた方がいいと思います。
エッセイや闘病記、自己啓発本とか、純文学とされるもの、あと、個人的にお勧めなのは児童書です。
児童書って大切なことがたくさん、分かりやすく書いてある。
小さな子供が読む絵本からも学ぶことは多いし、星の王子様やはてしない物語など、大人も読むべき物語も多いし、童話と呼ばれるジャンルも、風刺がきいてて学ぶ点がたくさんあります。

そうやって、哲学や、生きることの意味以外のことを考える時間を作るとともに、ぜひレフラヴィニアさんにやって欲しいのが「マインドフルネス」です。
こちらも私が説明するより、本を読まれた方がいいと思います。ネットでも調べられますが、本の方が何故マインドフルネスが必要なのかということから説明してあって、より深い納得を得られるかもしれません。
頭で生きてる人は、理論的にはどうかとか、それに対して自分の感情はどうかとかまでは気付けるけど、自分の体が「今」、何て言ってるかということに気付かずに過ごしてしまいがちです。
また、体のどこかに痛みがあるとその痛みにのみ反応してしまい、痛くない部分のことは認識すらせず、当然在るものとして扱いがちです。
本当は今、スマホを持ってる手にだって(もしくはパソコンのマウスを持ってる手にだって)、感覚があるのに、無意識でできてしまうから、自分の手のことなんて考えることもなく生きてしまいがちですよね。

あとは人のために自分の労力を使うこと。
レフラヴィニアさんは生きる意味を見失って、生きてることが難しくなってるけど、生きる意味を考える余裕すら持てずに、今日明日食べるもの・寝る場所がなく、生きてることが難しくなってる人もいます。
そういう人たちを助けることが正しいこととは思わないけど、そういう風に困ってる人を、情報としてじゃなく自分の体験として知ることができたら、そこから気付けることもあると思います。
最初の言葉に戻るのですが、善悪など、生きる上で大きな問題ではない人がいます。
善悪など関係ないところで生きている人に対して、人間とはこうあるべきだ、なんて言っても意味ないし、
善悪が全てじゃないなら、自分の思う正しさで、自分に対して厳しくある必要なんてないと思います。

八方塞がりではないですよ。
レフラヴィニアさんが体験したことない世界が、まだまだたくさんあります。
それを全部やってみてから死んでもいいし、多分、それを全部やってるうちに寿命が来るんじゃないかなとも思います。

ところで…
生きる意義と対義にある、死ぬ意義(メリット)って何でしょうか。
レフラヴィニアさんにとって、死ぬことの意義って何ですか。
私にとって「私一人がこの世からいなくなること」のメリットって、二酸化炭素の排出量が、極僅かに減ることくらいって思ってしまいます。
元々滅私の考え方で生きてきたので、こんな人間でもいなくなれば周りに何らかの心理的負担、遺体処理・葬儀・その後の法事などの経済的・身体的な負担、また、消費者の減少、労働可能年齢者の減少…と、デメリットの方が多く思いつき、それ故「死ぬことの意義」が見つけられません。
死後の世界のことを教えてくれる人もいなく、死んだら楽になれる保証もないのに死ぬのは怖いな、とも思います。
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男性 Levlavinia 25歳 Android 2018年07月24日(火) 19:22
投稿ID:69297
回答ありがとうございます。
僕は地頭も悪いし勉強も出来ません...ただ哲学書を貪るように読んでは咀嚼し反芻し読んでは~と繰り返している内に訳の分からない思想を持った人間になっただけなので...。
ゴルデル、僕も彼の著作はソフィーの世界だけでですが触れたことはあります。
今でこそ命の誕生のメカニズムは生物学的に多様な分析がなされ立証出来るものではあるとは思いますが、より根源的な原初的な地点から考えると確かに人間の知や力が及ばないものによって誕生した事実もあるかもしれませんが、生きる事についての論理的な説明においてはハイデガーやデカルト、カント、ショーペンハウアーなど生の、存在の哲学をしてきた名だたる賢人たちによって概ね明瞭に論理的に決着が付いている節はありますが、個人の価値観に依っては絶対性に欠けるので、やはり全く正しく、無謬である、なんて説明は人間には出来ないかもしれませんね。
神の存在については、「全能者のパラドクス」と言う哲学がありますが、これに触れて以来は神なるものの存在や概念は僕の中では虚構のものとなりました。

哲学以外、知的欲求の一端として心理学や経済学、哲学を学ぶ上での著者の時代背景、例えばキルケゴールはクリスチャンでしたのでキリスト教やショーペンハウアーだと仏教が近いので仏教を(現代の様に混合される前の釈迦やシッダールタ)、全く関係ないところではニーチェの善悪の彼岸を読むにあたり善悪二元論を重んじたゾロアスター教(拝火教)なんかにも少しではありますが触れてきました。
ただ先にも言いましたが地頭が悪いので多分野を詰め込み過ぎると熟成出来ないので程々にしてます…。
生物学も面白い説が有りまして、人間は手足20本の指や諸々の関節や筋肉を器用に動かせる事が出来るように進化した結果、筋肉を動かす臓器である脳は無駄に肥大し、余剰した部分が出来た事によって理性や思考すると言った高次的な能力を持つに至った、なんてのがありますが中々興味深いですよね。
ペットにしても人間のエゴの介入や隷従構造、マックス・ウェーバーが提唱した人間社会における支配構造(暴力と自発性)が妙にもしっくり重なって見えたりして、つくづく人間の佞悪醜穢さ、というものに目を覆いたくなります。

エッセイや自己啓発本は僕の中では取るに足らないものっていう認識があって、時間を割いてまで読む気にはならないんですよね。
純文学や児童文学も好きで特に芥川の河童や森鴎外の高瀬舟、フランダースの犬やラ・ミゼラブル、風刺が強烈なガリヴァー旅行記なんかはちょこちょこ読んでました。

「マインドフルネス」、以前に精神科へ通院中に主治医から聞いた事があります。
後ほど、調べてみますありがとうございます。

他者の為に労力を使う、それこそ時事として大雨の被災者へのボランティアなどに能動的になれたら良いのかもしれませんが、自分一人生きる事に精一杯で免罪符を打つつもりではないんですが、そう言った気力も枯渇してしまっているんですよね。
ただ、他者に何かを与える、と言う考え方はとても素敵な事だと思うので自分の手の届く、無理のない範囲で何か為せたらと思いました。

僕にとっての死ぬ意義ですか、メリットと書かれておりますが生死についてのその本質に利益・不利益は考えてません。
強いて言うならば、あらゆる肉体・精神的苦痛を排除出来ると言う点でしょうか。
所詮、脳内伝達物質の受容が僕らを苦痛に落とし込んでいる訳で、それを"認識"する機能が失われれば「無」があるのみです(断定)。
水槽の中の脳と言うお話がありますが、僕らの世界の全ては"認識"に依って成立しています。ショーペンハウアーの意志と表象としての世界やハイデガーの存在と時間と言う著書にも緻密に書かれていますが、所詮は"現象"と"認識"が世の真理です。
利益・不利益より、ただ「無」に帰属ないし還元されれば、僕は善しとする考えで居ます。

滅茶苦茶、長文になりました...ごめんなさい。
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女性 リトルミィ 京都府 PC 2018年07月25日(水) 01:22
投稿ID:69327
なるほど…。だいぶ問題点が見えてきた気がします。

他のことを学んでみては?と提案しましたが、既に自分が興味ある分野に関しては勉強されてきてるんですね。
勉強ができないなんて謙遜なさらないでください。
五教科全てバランスが良くできる人もいるけど、自分の得意分野にのみ長けている人もいるし、一度読んだだけで理解できる天才肌の人もいれば、同じことを何度も繰り返しこなし、自分の身にする人もいますし。

でも、地頭が悪いというか…人間力が低いように感じます。
人間力とは、つまり五教科以外の教科。
体育、音楽、美術、技術、家庭科などなど。
好きなことに傾倒するあまり、そういうことが疎かになってませんか?

「地頭が悪いから」多分野は学べない。
それは免罪符じゃないです。
地頭が悪いなら、人よりもっと努力が必要なんでは?
自分の好きな分野についてのみ深く調べ、また、肯定的な考えは排除し、否定的なものだけ取り入れ、凝り固まった人間になり、また、それを自分自身で容認してる。「地頭が悪いから」自分はこれでいいって、甘やかしすぎです。

一つは、もっと人の意見を肯定的に受け止めるべきです。
レフラヴィニアさんの言葉の端々から「自分は自分についてきちんと理解している」「だから人から学ぶものなど何もない」という強い意志を感じます。
精神を患ってる人の多くは、自分を肯定する強い意志をなくしてしまったから社会から孤立してしまったパターンかもしれません。
でも真逆に、自己が強すぎて、自分しか肯定することができず、自分を取り巻く世界に価値が見出せず孤立してしまった人もいます。
どちらが正しいとかっていう話じゃないです。
私の学生時代からの友達にも後者の人がいて、二十歳そこそこのころは分かり合えず袂を分かったけど、お互いに別のやり方で大人になり、今は認め合える関係だから、今、レフラヴィニアさんがどういう人間かはきっと大きな問題じゃないと思います。
でも、いつまでも世界に価値を見出せないままだったら、つらいばかりの人生になってしまうんじゃないかと私は思います。
自分にも相手にも、同じだけの正しさと、同じだけの間違いと、同じだけの権利があることに気付く必要性を感じます。

※ちなみに彼女の場合、子供を産み、育てる中で価値観が変わっていきました。
レフラヴィニアさんの周りに、自分の力の及ばなく、それでいて自分から切り離せないものはありますか。
マックス・ウェーバーがなに?
不遇を強いられ、一週間後には命を奪われるかもしれない子たちの前で、「動物を隷従させようと思うことなんて人間のエゴだ。だから私はあなたたちを引き取らないよ」って言うの?虐待するために保健所から動物を引き取る人もいるけれど、ほとんどの人間が、ただ助けたい。一匹でもいいから助けたい。小さな一歩でも、自分も動物を救うための活動に参加したいって思って引き取るんじゃないかなぁ?
そして引き取った以上、その子が快適に暮らすためのサポートをすべき。人間社会で生きていくためには、それなりに人間界のルールを覚えてもらう必要があるし、これだけたくさんの犬が暮らす世界では犬同士のルールもあるから、それも人間がまず教えてあげる必要がある。健康を保つために病院へ行く必要がある場合もあるでしょう。ある程度従うように躾けておかなければ病院へ連れていくことすらできない。
そもそも犬を飼う、猫を飼うという概念から間違ってると考えることもできるかもしれない。彼らも一己の命。人間に従わせることなどなく、自由に生かせてあげるべきだった。そういう考え方は否定しません。
しかし犬という種族全てがそう存在してきたら、犬そのものが日本オオカミと同じ末路を辿っていたんじゃないかと思います。
種を存続させることが幸せではないでしょう。でも種が滅ぶことが幸せだということも決してないでしょう。人間は犬を利用したかもしれません。しかし犬もまた、存続するために人間を利用したともいえるんじゃ?
もしくは、放っておいても、今まだ多く存在する野良猫のように繁殖していたかも。
でも多くの猫が食べることに困ってる。そして一度病気にかかったが最後、治ることなく死に絶えるだけ。野良猫の平均寿命は3~4年だそうです。その途中で誰かに保護され十分な栄養と治療をもらっても、短命であることの方が多いそうです。短いけど自由な一生。家から出られないけど食べることに困らない一生。どちらがいいなんて、決められないんじゃないかなぁ…、それこそ、その子次第かも。昔引き取った二匹の犬は、上の子はとても人懐っこかったけど、下の子は「私に構わないで」っていうタイプだった。でも、人に構われることがあまり好きじゃないから保健所でそのまま死んでた方が良かったとは思わないし、何より、人に構われることは好きじゃないけど、人が嫌いなわけではなかった。彼女は彼女なりに人間界での生き方を考えて、折り合いをつけて生きたんだと思うんだけど、それも私のエゴなのかな?
…しまった、動物のことになるとちょっと見境をなくしてしまいます、ごめんなさい。
つまり何が言いたいかと言うと、レフラヴィニアさんも一匹、犬か猫引き取ってみては?
人間の子を産み育てるのはまだ心配でしょう。動物の子であれば、最悪、自分で育てられなくても引き取ってくれる人がいます。
彼らは決して思う通りには動いてくれません。言うことを聞いてくれないっていう意味じゃなく、人間と同じでみんな性格が違うから、自分とピッタリ寸分違いなく相性のいい子なんていないんです。それが堪らなく愛しくて、もうこれ以上は面倒見れないと思いつつ、困っている子に出会ってしまうと、手を差し伸べずにはいられなくなるんですが。

そしてもう一つ、「健全な魂は健全な肉体に宿る」という言葉の通り、健全な肉体作りから始める必要を感じます。
今普段、どんな運動をされてますか?
私はうつが最悪だった時、一年ほど病院以外外に出ず、ほぼ寝たきりで過ごしました。せいぜいテレビを見るくらい。
そのとき、ただただ死んでしまいたい。もう苦しいのはお腹いっぱいだって思ってました。
でも母と旦那に、ジムに連れていかれました。週3で通いました。散歩も毎日40分行きました。
「なんでこんなにしんどいのに体動かさなあかんねん」ってずっと嫌々やってたけど、半年もすれば嘘のように元気になりました。
死にたい気持ちがなくなったわけじゃない。うつが治ったわけじゃない。
でも少なくとも、「体動かすのって悪くないな」って思えるようになれました。そう思えるようになっただけで、運動する前とは比べ物にならないくらい元気になりました。
今既に何か運動されてるなら、もう少し負荷をあげて、体が疲れるくらいの運動を、今体を動かせるほどの気力がないのなら、とりあえず5分の散歩と1日10回の腹筋から始めてみるといいと思います。騙されたと思ってやってみてください。

知的欲求っていう言葉を使うくらいだから、学ぶことが大好きなんだろうなと思います。でもそれもバランスが大事だと思います。
頭を使うことばかりに傾倒し過ぎず、体も同じだけ使ってあげてください。頭も体も、同じだけレフラヴィニアさんに大事にされる権利があって、レフラヴィニアさんには、頭も体も同じだけ大事にする義務があります。

また、最初の方で言いましたが、勉学じゃない分野についてはどうですか?
楽器を演奏したり、絵を描いたり、料理したり、手芸したり、DIYしたり。
もちろん知識も必要だけど、習うより慣れよのこと。
そして、できたら人生がちょっと豊かになるようなこと。
全部しなくても、何かをしてみてもいいかもしれません。
それを「達人」と言われるくらい極められたら、他のことをしてみても面白いと思います。

死ぬことって、本当に「無」に帰すことって、断定できますか?
それをどうやって証明できますか?
死んだら絶対に無に帰すことができるって証明できたら、生きてることがつらい人は今より気軽に死ねるようになると思います。
私は99.99%、死んだら無に帰すだろう、何も認識できなくなるだろうと信じてます。
でも残りの0.01%、魂というものが本当にあって、それが天国や地獄と呼ばれるようなところに行けたらいいけど、永遠に終われることなく存在し続けなければならなかったらすごく怖い、と思うから、私は死ぬことができませんでした。
だって私に「死んだら無だったよ」って教えてくれた人は誰もいません。
「死んで天国に行ったよ」って教えてくれた人もいないし、「無だったよ」って教えてくれた人もいません。
タナトフォビアではないけど、本当に何も情報のない未知のものは怖いです。
何の情報もない未知のものだからこそ、憧れる人もたくさんいるのでしょうが。

でも本当に死んでしまった友人は、死んだらどうなるか、なんてことは考えずに死んだんだろうということは分かります。
とにかく今直面してる苦難から逃げたい、どうやっても立ち向かうことができない、勝つことができない、私は逃げたい。
その一心で死を選んだんでしょう。
彼女に、何で死んだの?って聞く気はないし、彼女を可哀想と思うこともない、彼女の精神が本当に無になって、「彼女」というものがなくなってますようにって願っています。
理屈じゃなく死にたいと思うこと、死を選ぶことは、分からないわけじゃないです。
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