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境界性パーソナリティ障害

男性 難読 26歳 PC 2017年03月27日(月) 19:27
投稿ID:52372
匿名投稿における誹謗中傷と「境界」について
おそらく幼少の頃のいじめ被害で境界例になったのですが、その後友人に恵まれて現在までうまく取り繕ってきました。
ただそれまでの間も現在も、心を許せる相手は指折数えられる程度で、主たる居場所はインターネットにある、そんな人間でした。

先にみなさんに問いたいことを書きますと、「匿名投稿をどのように受け取るべきか」ということです。話の本旨まで長々と無駄なことを語りますが、お付き合いいただけるかたはお読みください。

私は、はじめはいつも、適度な場所を見つけてコミュニティに混ざることが出来ます。
適用能力は比較的良い方らしく、様々なコンテンツにおいても突出した何かをアピールし、有名になることもしばしばありました。

ただ、どこかで足がつくのです。
原因は境界例の症状に他なりませんが、例えば「他人が自分より褒められているのが嫌だ」とか「統べているコミュニティから人が離れていく」だとか、スイッチになることがどこかで生じます。

すると私は攻撃的になります。現実社会ではリスクになることを犯しません。その分奔放に言いたいことを彼らにぶつけます。
もちろん直接的ではなく目に付いた相手の粗を探してみたり、短所を掲げてみせたり、明らかに間違っている部分を指摘したり。

私は正論を述べているはずなのですが、大抵の場合非難を受けます。その理由はなんとなく察しがつきます。

その際の悪意はすぐに察知することができるのですが、感覚的に理解が出来ません。まさに「境界」にいるのだと自分が自覚する瞬間であります。

どういうことかと言いますと
「私が根底から間違っているからこそ、ごく当たり前な非難を受ける」のか
「境界例の本質に基づいた発言、正論によって健常者の攻撃性を増幅させている」のか
要するにどっちが間違っているのか、わかりません。

第三者目線から考察してみることもしばしばです。

明らかに精神が幼稚である相手からの支離滅裂な反論などは「あぁ、これは防衛本能だな」と嚥下することが出来ます。
ただしそれをすると、今度はある程度聡明な、経験を積んだ相手からの指摘に疑問を覚えるのです。
「おかしいな、この人は良識がある人のはずなのに……偽善者だったのだろうか」と。この感覚も境界例では一般的らしいのですが。

結果的にコミュニティでは孤立し、一人完全なる「悪」になること、数知れずです。はじめは境界例というか、「サイコパス」なのかなとも思ったのですが、「ボーダー」自体は嫌われていることも多かったので、単に境界例だからなのかな、と曖昧な納得をさせているのが現状です。

さて、これらの考察をもっと広く考えた時に、「相手が匿名だからなのか」という疑問が生まれました。
これは多かれ少なかれ差があるだろうとは考えています。相手の素性を知らないからこそ、取り繕う必要がない。傷つけても問題はない、と。

であれば受ける批判も、攻撃も、ある程度のものと理解して受け流せばよいのですが、私は…境界例故か、受け流すのが苦手なようです。
軽口のように、なんとなしに浴びせられた罵声一つ、その悪意を読み取ってしまいます。もちろんその悪意の真の重さを知ることは出来ません。それでも勝手に数値を設定して、それに見合った分の反論をぶつけてしまう……結果孤立か、泣き寝入りなのですが。

いわゆる、「いじめてるつもりはなかった。ただからかっているつもりで、相手も笑っていたから傷ついてると思わなかった」というような言葉に示されるように、感覚のズレが非常に気持ち悪くてなりません。これはもはや、境界例云々ではないのだとは思います。ですが、このどこかに自分と自分以外の……明確な何かがあると確信しています。その正体が分からず、もやもやしているのです。

せっかく読んでいただいて恐縮ですが、問いたいことがうまくまとまっていません。
ですからこの文章を読んで頂いて思ったことをどこでも摘んで書き綴っていただくだけで救われますし、少しでも節々の考察が進みます。

私の苦悩は、現実では起こっていません。とても友人関係に恵まれ、グループではリーダー的存在。先輩方にも認められ、順風満帆に「好かれて」います。それでも、仮想現実であるインターネット、特に匿名で関係の浅いところではほとんど100%に近い割合で「嫌われて」います。ですからその相手が「同類」なのか「健常者」なのかも分かりかねますし、関係性もよくわかりません。

究極のところ危惧しているのは、それが現実に及んでしまわないか、という点です。

仮面をかぶった生活であることは、重々承知です。唯一心を許した恋人のことを2年かけてボロボロにしてしまったこと、今でも自分が恨めしくてしかたありません。そういう確実な「悪」を有していることは、もはや疑う余地がありません。ですから今では親密になることが恐怖以外の何物でもありません。

わからない部分が多くあっても、現実でそういうことが起こっていないことから逆算して、今の「現実」での行き方は間違っていないのだと思います。ただ自分の中にそういう「因子」があることに、やはり不安を覚えます。なんとしてでも解明し、解決したい。

境界例だとしても、そこに本質的な問題はなく、単に付き合ってきた「匿名の相手」が異常であったのか。それともどこかに問題があったのか……哲学的な話で、結論づけることはできないことかと思います。それでも私以外の方はどう思っているのか、忌憚のないコメント頂けると幸いです。
  • 0
女性 QQQ 36歳 PC 2017年03月28日(火) 01:29
投稿ID:52386
忌憚ないコメントをさせていただきます。
投稿を読ませていただきましたが、難読92さんは、つまるところ、不快感を払拭したいだけのように感じます。

哲学的な話ではなく、感情論だから結論が出ないのではないですか。
感情は哲学を構成する一部、といえばそれまでですが。

私は「異常」な「匿名の相手」でしょうか?

難読92さんも、私にとっては「匿名の相手」です。
「異常」だとは思いませんが。
  • 0
男性 難読 26歳 PC 2017年03月28日(火) 01:58
投稿ID:52389
>>Kuma-kumaさん
コメントありがとうございます。

ネチケット、という言葉は昔から好きです。
言葉の重みに現実もネットも関係ありませんが、どうしてもそこには見えない「差」がありますよね。その感覚が、個々の意識が様々なトラブルに繋がっているのは明白なのに、どうにもできない歯がゆさです。

もっと責任を持っていただくには、法整備しかないかな、と思います。
特に未成年…彼らは時代の被害者です。私ももう数年生まれてくるのが遅かったら「加害者」になっていたかもしれません。それだけ今のネット社会は便利で、やりたいようにできる。傷つけたい人を傷つけられるように思えてなりません。
  • 0
男性 難読 26歳 PC 2017年03月28日(火) 02:07
投稿ID:52390
>>QQQさん
コメントありがとうございます。

仰る通りです。
様々な理由をつけてはおりますが、本質はシンプルです。

この主たる原因が自分のどこにあるものか分からぬ故、苦悩しているところなのですが、何においても私自身、「中立」を気取ってしまうんですね。
それが本当の「中立」ならばいいのですが、きっと私はいつも「主観」なのです。そして「哲学的」にみえて「感情的」なのです。

端的に言えば…自分の都合のいいように解釈している、とまでは言いませんが。

例えば
>私は「異常」な「匿名の相手」でしょうか?
と問いかけて頂いておりますが、現状では異常ではありません。全くもってただの「匿名」です。

けれどおそらく境界例である私は、それを色付けしたくてたまらないのだと思います。コメントの裏に潜む真意に、自らを否定する感情がないだろうかと、油断することなく窺っています。無機質な「匿名」のコメントだからこそ、フィルターは私のみ通って脳内に到達します。

QQQさんが自分の味方であるのか、敵であるのか。もちろん否定的なコメントをしたからといって敵、ということではありません。ただ近しい「感情論」は含んでいるように思います。私の基準において「異常」であれば、もうそれはきっと私の世界では「異常」なのでしょう。……それこそが「異常」だと自覚しているはずなのですが。

根底にある感覚だからこそ…これを払拭するにはやはり専門家の力が必要でしょうか。

とても考えさせられるコメント、感謝です。抽象的な回答で申し訳ありませんが、引き続き何かしらコメントありましたらお願い致します。
  • 0
女性 QQQ 36歳 PC 2017年03月28日(火) 02:32
投稿ID:52391
敵と味方、存在はその二択しかないのでしょうか。
私は、難読92さんのことを詳しく存じ上げませんので、敵だとは勿論思いません。
と同時に、味方だとも思いません。

エッセイや新書は読まれますか?
読まれたとして、著者を、敵だ味方だと考えてしまうのでしょうか。
エッセイストの中にも、匿名の方は大勢いますよね。

「境界性パーソナリティ障害」の特徴が、難読92さんの感覚を説明する上で適当だと思うならば、一度カウンセリングを受けてはいかがでしょうか。

「苦悩」は無いほうが、誰でも生きやすいですもの。
  • 0
男性 たつみ PC 2017年03月28日(火) 21:25
投稿ID:52419
こんばんは。
現実と仮想現実が逆転しているような印象があります。
現実で順風満帆に「好かれて」いるのは、仮想の自分かもしれないし、仮想現実で100%に近い割合で「嫌われて」いるのは現実の自分かもしれないと恐れる。

どうしても「順風満帆に好かれている」という言葉に居心地の悪さを感じるのです。
偽って見せている現実の反動が仮想現実上に表出してしまっているような。
「順風満帆に好かれている」人は仮想現実にいる必要を感じないでしょうし、不快な議論に惹かれることもないだろうなって。

思うのは、そんなになるまで、現実で好かれようとしてしまうということ。
それは勝手な想像かもしれません。
けれど、そのことを想像するだけでも疲れてしまいそうです。

それと、「境界例」という言葉を全部消しても、悩みとして違和感はないと思いました。
むしろ「境界例」という言葉に縛られてる、その言葉を使わないことを手放すことを意識してみてはとも思いました。

「匿名」を利用して攻撃してくる相手は、鏡に映された自分の姿。
そこまでは薄々気づいているような感じもします。
自身のコメントを何度も読み返してみれば、その聡明さが導いてくれそうとも思います。

吉野弘の『祝婚歌』を読んでみてください。
わかる部分もあるでしょうし、やがてもっとわかるようになれます。
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男性 難読 26歳 PC 2017年03月29日(水) 19:23
投稿ID:52444
たつみさん

コメントありがとうございます。
仮想と現実の逆転…なるほど、確かにその通りかもしれません。

「順風満帆に好かれている」というのは確かに仰っていただいた通り、「願い」でしかありませんね。それを確かめる術はどこにもないけれど、そう思っていなければ生きていけないんです。

「境界例」という言葉に関して弁解させて頂くと、私は自分の欠点や症状をこの障害の名前を知る前から自覚していました。それが幼少の頃の経験のせいなんだろうな、とか。今自分の性格はこうで、ここは他人とズレているところなんだろうな、と。

ただ一度背負ってみると分かるんです。もしこれが「障害」でないとするならば、何故悩まなければならないのか、と。「障害」は便利です。自分がそういう病気であるとすれば、言い訳が出来るんです。

ちょうど学校に行きたくない子供が、インフルエンザに罹って喜ぶようなものでしょうか。ですから、この見方は喜ばしくないのは自覚していますし、基本的には健常者に近い人間だと思いたいのです。おそらく自信が足りていないからこそ、そうして名前に縋ってしまうのだと思います。

さて、「祝婚歌」読ませて頂きました。恥ずかしながら初見で。

正直な感想を申し上げると、理想論だなぁ、というところです。もちろん心を広くして読めば素敵だな、心が穏やかになるなと思う部分もあります。

けれど私の心のべっとり張り付いている何かは、詩を読んだだけでは剥がせそうもありません。完璧に生きることが生きがいなのです。そのコントロールが出来ていたら、こんな風に苦労はしていない。

それでもどこか一つ、今の自分の性格が改善するチャンスが生まれたら、この歌のありがたみを受けるだろうなと、そんな印象です。今はまだ壁の向こうにある言葉に聞こえ、暖かさが受け取りきれませんでした。それでもコメントいただいたことは、非常にためになりました。ありがとうございます。
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男性 たつみ PC 2017年03月29日(水) 21:15
投稿ID:52449
こんばんは。
正直ですね。
その正直さ、自分を見つめられる素直さがあれば、求めている答えを生み出すことはできると思います。
それに、そうして完璧を求めてしまう自分がいるということに、自身が気づいているのと気づかずにいるのとの差は結構大きいんじゃないかなとも思います。
その点で、あまり心配はしていません。
減点法は苦労するでしょうけれど。
完璧を求めると不完全になり、不完全でいられることが意外と完璧な姿だったりもします。
考える人、好きですよ。
こちらも学ばせていただきました。
ありがとうございます。
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