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自殺願望

女性 無気力さん Android 2018年07月03日(火) 15:20
投稿ID:68340
気持ちが不安定。
いま、とても死にたいと思っています。
その前に死にたいと思ったのが昨日の夜?ぐらいです。
不定期にその気持ちの波が来ます。基本夜。

私はずっと[生きていること自体がめんどくさい]という気持ちで生きてます。食べることも寝ることも好きだけれど、とりあえず死にたい気持ちが出てきてしまいます。

病院に行くべきか考えましたが、これくらいのことで相談できるようなものでもないと思いましたし、その行ったときには自殺願望が一ミリもないときかもしれないので迷ってます。

死にたい願望あることは親にも友達にも言ってません。
こういうことは言っても反応しづらいまたはめんどくさい重いなどと思われるので(確実に)

ただ私は自分の力で死ぬことができないので仕方なく生きている感じです。
親に産んでもらった感謝の気持ちはありません。親は好きですが、物心ついたときからあまりしあわせだと思うことがなかったので、しあわせになれないのに何で産まれさせられたんだろうと後悔しかないです。

誰かにこれを聞いてほしくて、今回書き込みました。
なんの説明も見ずに書いたので何か違う点があれば黙って暖かい目で見ててください。お願いします。
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男性 JB1 iPhone 2018年07月03日(火) 16:51
投稿ID:68344
一切皆苦。
生きることはこれ全て苦である。
仏陀が言った言葉である。

好き好んで生まれたわけでもなく、ただ死ななければならなくなったのである。
生まれたのはあなたであり、あなた以外の誰でもない。
しかし、あなたでなくてもよかったわけである
他の誰かでも何ら差し支えはなかったのである
でも、あなただったのである。
あなたに起きてしまったわけである。
あなたに選択肢は一切ない。
もう後戻りもできないし、誰も代わってはくれないのである。
これは単なる偶然という以外なにものでもない

生きること全てが苦であり、避けることができない死を、代わりに引き受けてもらうことは絶対に不可能なのである。
他人の死はあくまで他人事である。
自分の死は決して他人事では済まない。
確実に、間違えなく自分に起こる。
必ず起きてしまう。
幸せであろうがなかろうが、面倒であろうがなかろうが、望むと望まざるとに関わらず、その気がなくても絶対に死ぬのである。
これは全く避けようのない必然である。

偶然で始まり、必然で終わる。
始まりは選ぶことさえできないのであるが、
運がよければ終わり方だけは選べるのである。
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女性 リトルミィ 京都府 PC 2018年07月03日(火) 19:18
投稿ID:68351
私はもう20年以上病気で、自殺願望が強かった時、何もする気力が起きなかった時、反対に楽しくて楽しくてなんでもできるという気持ちになる時などいろいろありました。

今、幸せに暮らしてます。
ただ、死にたい気持ちがなくなったかと言えば、それはずっとあるんですよね…

特に夜は思考がマイナスになりがちっていいます。

病院で薬をもらわなければならないほど病んでるかと聞かれると、そこまでではない気もします。
ただ、一人では生きづらそう…って心配です。

臨床心理士がいるカウンセリング施設でカウンセリングを受けるのはどうでしょうか?
死にたいときも、そうでもないときも、ちゃんと通うだけで、自分の考え方も少しずつ変わっていくと思います。

もしかしたら何か過去に大きな不幸を味わったから、今はそんな風に考えるのかな?と思ったりもします。

死にたいという気持ちをなくして生きていけるようになりたいと思うより、死にたいままでも楽しく生きていける方法を見つける方がきっとやりやすいと思います。
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男性 JB1 iPhone 2018年07月03日(火) 20:58
投稿ID:68354
生きることは面倒である。
事実その通りである。
大してあてにもならない楽しみを、わざわざ探さなくてはならないからである。
楽しみを探し当てたとしても、飽きることは避けられそうにない。
飽きることのない楽しみを探し当てたとしても死ななければならない。

確かに、生きることは面倒だから死にたいと思う気持ちが分からないわけではない。
死んでしまえば面倒ではないということが間違えなく事実であるならば、死ぬという選択を否定しない。
しかしもし、死んでからも面倒なことがあったとするならば、これは目も当てられない。
しかも、生きること以上に面倒であるならば、
これはもう救われない。

生きている内に、死んでからのことがわかりさえすればいいのだが、そうはいかない。

世間一般での理解は、楽は楽であり、それ以外
はありえない。
仏教の解釈では楽しみも幸福も苦である。
確かにそう思う。
間違えではない。
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