
投稿ID:83314
HSP・出来ないことの言い訳
いつもお世話になります。
HSPだと言う方、是非ご意見ください。いつもの方々も、今回はマイルドな相談です。
ふとネットに転がっているメンタル診断をやってみたら、今度は「HSP」と言われました。
そういえば少し昔に、知り合いからHSPの話を聞いて、その後ネットの友達に「君はHSPじゃないかな?」と言われたことがあったことを思い出しました。
ここでいうHSPとは、ハイリーセンシティブパーソンです。
このサイトにこられている方ならご存知の方も多いかと思いますが。
なんでも物事を敏感にとらえるが故、感受性が高く人によってはコミニュケーションが難しくなったり、刺激に弱くなるとかなんとか。
私自身、激しい光や音が無理、ということがなかったので、自然とHSPではないだろうと判断していたのですが。
ここの所気になるようになり、そういえば会話の時、常に相手の顔色を伺っているなぁなんて思うと、HSPという言葉も他人事じゃないように思えてきたのです。
実際、今の仕事で誰かと話す時、仮面を被ったように愛想笑いで常にありがとうありがとうと言いながら、すみませんすみませんと下手に出ながら対応します。これ自体は昔から自己分析している通りなのですが。
でもそれがHSPの特徴の一つと言うではありませんか。
なら私が仕事が出来ないのも納得。この空間が苦手で、しんどいと思ってたのも、HSPという気質が原因だったのか。
と、一つ結論を仮定した時に浮かんだ疑問です。
HSPはデメリットが目立つ反面、集中力が高かったり、何かに秀でることあると聞きます。
その整合性はどこにあるのでしょうか。
自分がそういう気質を持っているとして。
誰かより優れた仕事ができる!と思い込んでいても、当たり前にそれが出来ている人たちは、HSPではない。ということはやはり、HSPは劣っているのか。それともHSPであっても、自分自身が劣っているのか。
「仕事ができる人」が周りにたくさんいます。皆自分を犠牲にして働く。それが美徳と言わんばかりに。
そう言う人はいいます。「すぐそうやって自分のことを適応障害だとかHSPだとか、名前つけて呼ぶよな」と笑いながら話します。
確かに一理あります。なんでも記号をつけたくなる。
HSPはこのように、周りからみたときに「あなたはHSPじゃないよ」と言いたくなる人がいます。その反対も然りですが、じゃあ「HSP」ってなんでしょうか。
もちろん、漠然とは分かっているのです。
メンタルヘルス全体が、ぼやっとした決まり事で、その人の気質や特徴を、病態や社会適合に即すようにつけた名前です。
それにしても、私はHSPの気質、といういくつかの項目に納得して、共感しているのです。
それでも私はHSPではないのかもしれない。認められないかもしれない。
出来ないことの言い訳に、HSPだから、と使ってもいいのでしょうか。
それとも、他の病名や、適応障害と言う言葉を使えばいいのでしょうか。
好きにしろよと、思われるかもしれません。
ただ、この社会で角が立たないようにするには、一番は何も言わないこと。
その次に、病気だと告白することだと思っています。
HSPは病気に認定されるでしょうか。医学的な意味ではなく、社会通念上。それも、ローカルなコミュニティレベルで。
私はHSPだと信じて、信仰してみたい。その才能を信じて、会社でも作ろうかと思っています。
私なりのジョークですが、そういう言葉も通じるでしょうか。
HSPについて、ご意見いただけると幸いです。
HSPだと言う方、是非ご意見ください。いつもの方々も、今回はマイルドな相談です。
ふとネットに転がっているメンタル診断をやってみたら、今度は「HSP」と言われました。
そういえば少し昔に、知り合いからHSPの話を聞いて、その後ネットの友達に「君はHSPじゃないかな?」と言われたことがあったことを思い出しました。
ここでいうHSPとは、ハイリーセンシティブパーソンです。
このサイトにこられている方ならご存知の方も多いかと思いますが。
なんでも物事を敏感にとらえるが故、感受性が高く人によってはコミニュケーションが難しくなったり、刺激に弱くなるとかなんとか。
私自身、激しい光や音が無理、ということがなかったので、自然とHSPではないだろうと判断していたのですが。
ここの所気になるようになり、そういえば会話の時、常に相手の顔色を伺っているなぁなんて思うと、HSPという言葉も他人事じゃないように思えてきたのです。
実際、今の仕事で誰かと話す時、仮面を被ったように愛想笑いで常にありがとうありがとうと言いながら、すみませんすみませんと下手に出ながら対応します。これ自体は昔から自己分析している通りなのですが。
でもそれがHSPの特徴の一つと言うではありませんか。
なら私が仕事が出来ないのも納得。この空間が苦手で、しんどいと思ってたのも、HSPという気質が原因だったのか。
と、一つ結論を仮定した時に浮かんだ疑問です。
HSPはデメリットが目立つ反面、集中力が高かったり、何かに秀でることあると聞きます。
その整合性はどこにあるのでしょうか。
自分がそういう気質を持っているとして。
誰かより優れた仕事ができる!と思い込んでいても、当たり前にそれが出来ている人たちは、HSPではない。ということはやはり、HSPは劣っているのか。それともHSPであっても、自分自身が劣っているのか。
「仕事ができる人」が周りにたくさんいます。皆自分を犠牲にして働く。それが美徳と言わんばかりに。
そう言う人はいいます。「すぐそうやって自分のことを適応障害だとかHSPだとか、名前つけて呼ぶよな」と笑いながら話します。
確かに一理あります。なんでも記号をつけたくなる。
HSPはこのように、周りからみたときに「あなたはHSPじゃないよ」と言いたくなる人がいます。その反対も然りですが、じゃあ「HSP」ってなんでしょうか。
もちろん、漠然とは分かっているのです。
メンタルヘルス全体が、ぼやっとした決まり事で、その人の気質や特徴を、病態や社会適合に即すようにつけた名前です。
それにしても、私はHSPの気質、といういくつかの項目に納得して、共感しているのです。
それでも私はHSPではないのかもしれない。認められないかもしれない。
出来ないことの言い訳に、HSPだから、と使ってもいいのでしょうか。
それとも、他の病名や、適応障害と言う言葉を使えばいいのでしょうか。
好きにしろよと、思われるかもしれません。
ただ、この社会で角が立たないようにするには、一番は何も言わないこと。
その次に、病気だと告白することだと思っています。
HSPは病気に認定されるでしょうか。医学的な意味ではなく、社会通念上。それも、ローカルなコミュニティレベルで。
私はHSPだと信じて、信仰してみたい。その才能を信じて、会社でも作ろうかと思っています。
私なりのジョークですが、そういう言葉も通じるでしょうか。
HSPについて、ご意見いただけると幸いです。